2013年4月15日月曜日

そのひゃくじゅうろく

いろんなことに違和感を感じることがあります。

たとえば過去の自分と現在の自分。

ひょっとしたら現在の自分と過去の自分は他人で、どこかの時間に入れ替わっているかも分からない。と思うことがあります。

幼い頃の記憶はもちろん頭と心の中に深く深く残ってはいますが、それが本当に現在の自分に繋がっているのかは分からない。

これを読んでくれている画面の向こうのあなたも、過去の自分と現在の自分が同一人物だと心の底から思えますか?思えるといいね。それがいちばんいいよ。


TwitterというSNSがあります。ソーシャルネットワーキングサービスというもの。

以下Wikipediaより抜粋
"ソーシャル・ネットワーキング・サービス(英: social networking service、SNS)とは、社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスのことである。

代表として、日本ではmixi、GREE、Mobage、Ameba、世界ではFacebook、Myspace、LinkedInなどがある。"

このTwitter、ワシは2年と少しやっています。知らない人もいるとは思いますが、『〜なう』とかいうあれです。「なう」なんて実際使ってる人は今はあんまりいないですけどね。

近頃これにも違和感があります。ワシはFacebookもやっていて、そちらは現実の世界の友達がほとんどです。ちゃんと面と向かったことがないのはエマーソン北村さんだけです。

でもTwitterはそうではなく、ほぼ大半の人(フォローやフォロワーと言います)が顔も分からない人ばかりです。

その中で文章だけで会話するようになった人もいますし、実際ワシの恋人はこのTwitterで知り合った人です。(別に書いてもいいよね…。)

会ったこともないのに親切にしてくださる方もいました。お米を送って頂いたり、ポストカードを送って頂いたり。
その方とは一昨年に会うことができてとても嬉しかったです。

でもなんだか近頃違和感があるのですな。
ワシが何かを投稿しようと携帯電話でカチカチ打ち込んでも、「あら、これ見て誰がおもしろいのか。はたまた良い気分になるのか。それとも嫌な気持ちになるのかも。」なんて思って、投稿せずに文章を削除するのです。だってほぼ知らない人たちに向けて何かを発信するのだから。

何か宣伝するようなものならまあわかります。それは立派で有効なプロモーションだと思います。
ですが一体ワシの顔を知らないひとたちが「シャワーのお湯加減が難しい。」だなんて読んで何が楽しいのか。

なんて考えるようになってしまいました。それはきっと最近になってFacebookを始める友達が増えたことと関係があるのかなと思います。ワシがFacebook始めた頃は、ワシと下の名前が一緒の見ず知らずの人とドミノピザしか友達がいなかったのに…。

だから今はTwitterとFacebookとブログで縦断していろいろ吐き出してます。人によっては「吐き出すことに意味はない」とか「そんなんノートに書け」という人もいるのですが、ワシは、ワシの居場所はここなのかなぁと思います。良いことをたくさん綴れれば良い。酷い写真や文章で人を怒らせたり傷つけたり悲しませたりしてしまったこともあります。
でもここにワシはまだこれからもいます。

嫌な気分にさせないようなことを綴れるように心を鍛えたいです。