2019年10月22日火曜日

そのさんびゃくろくじゅうご


松本敏将 弾き語り『後の月』
EL NAGUE、JK富田、両会場にお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

と、その前に…。

先週の火曜日の夜から、ほっぺたが腫れて入院してました…。
その前の週の土曜日の深夜から急に腫れてきて、日曜日はなんとか我慢しましたが、眠れないほどほっぺたが痛かったので、月曜日に休日診療の病院へ行きました。祝日だったので。

腫れが始まった二日前に歯医者で虫歯の治療をし、そっち側のほっぺたが腫れたので、歯医者の診察を受けることにしました。
しばらく診て頂きましたが、すぐに大きな病院へ行くように言われ、その場で紹介状を書いて下さったので、その足で指定の病院へ向かいました。

大きな病院で沢山の検査を受けました。レントゲン、CTスキャン、血液検査、問診、3時間以上かかりましたが、結局は歯が原因ではないと。

そうしたら皮膚科の先生が来られ、膿が溜まっていると言われました。歯科の先生たちは「すぐに切開した方が良いんじゃないですか?」と言ってましたが、皮膚科の先生は「薬だけで大丈夫でしょう」と。

薬を飲むように言われ、翌日に最寄りの皮膚科を受診して下さいと言われ、その日は薬を飲んで翌日に最寄りの皮膚科へ行きました。

そうしたら、そちらの皮膚科で「大きな病院で血液検査を受けたなら、そちらの病院へ行って下さい」と、まさかの病院たらい回し。

その時点でもう夕方だったので、また翌日に大きな病院へ行こうと思いましたが、夜になって痛みの限界がきて、身体が動かなくなったので、救急車を自分で呼びました。

救急を呼ぶのは迂闊には出来ないので、悩みましたが、そうも言ってられず。でも救急の番号が分からなくて検索したという馬鹿なワシ…。

救急に電話し、症状を話している間に救急車を派遣するというスピーディーな仕事。すぐにサイレンが聞こえ、救急車に乗り込みました。

救急車の中で具合を話しましたが、本来なら痛み止めを飲んで翌日に自分で病院へ行って欲しいと言われましたが、ワシの様子をよく見ていてくださった救急隊員の方は、先に行っていた大きな病院へ受け入れの要請を出して下さり、要請が通るとすぐに救急車を走らせてくれました。本当に感謝しています。

救急車はサイレンを鳴らしながら走りましたが、四条通で少しゆっくりになりました。四条通は京都市内のメインストリートのひとつですが、何年か前に歩道を広く拡張し、車道を一車線にしました。観光メインの施策でしょうが、市民レベルの暮らしで言えば最悪な施策です。バスも混むし、こういった救急の場合や災害が起こってしまった場合は何の効力もありません。

ファック。

少し時間はかかりましたが、病院へ着いて、すぐに診て頂きました。でも初めに診て下さった先生はどうするか迷っていました。そうしたら、上の先生が来られ、ぱっとワシのほっぺたを見た途端「切りましょう」とすぐに言いました。「ここまでよく我慢しましたね」とも。

手術台ではないですが、処置室のベッドに寝転び、あの病院特有の眩しいライトが目の前を暗くし、すぐにほっぺたに麻酔を打たれました。「痛いですよ」と言われましたが、その通り、めちゃくちゃ痛かったです。すぐさま「メス」と聞こえ、ワシは「もう殺して…。」と思ってました。麻酔って効くまで時間がかかるもんだと勝手に思っていたので、麻酔を打ってから"メス"のタイミングまでの速さが、とてつもない進行速度でした。

そして何かがほっぺたに刺さった途端、真っ暗なワシの世界に見えない"噴水"が湧きました。西田汁の噴水です。

その刹那、痛みが最高潮に達しましたが、尚も西田汁を出すために先生はワシのほっぺたを指でぎゅうぎゅうと押しました。先生は女性の先生で、「ごめんね、痛いね、ごめんね」と何度も言ってくれました。単純に可愛かったです。先生が。

ほっぺたぎゅうぎゅうはとどまることを知らず、その間に来られたであろう看護師さんに先生が「噴水みたいでした」と言っていたので、ワシの暗闇世界噴水"西田汁"は本物だったようです。

ようやくほっぺたぎゅうぎゅうも終わり、灯りが消されると、やっと目を開くことができました。その途端に涙が流れました。大の大人が痛くて涙を流すなんて。

その後、入院することが決まり、2,3日くらいかなと勝手に考えていましたが、入院計画書には『1〜2週間』と記されていました。

その日は火曜日。松本さんのライブは金曜日が初日。

3日後、間に合わない…。

どうする西田…。

カミングスーン!

2019年10月19日土曜日

そのさんびゃくろくじゅうよん

なにかと"芸術"というものが話題になりましたね。今もか。

そもそも芸術とは何なのでしょうか。絵画、彫刻、写真、映像、音楽、いろいろ挙げられると思いますが、でも何をもってして芸術と言えるのでしょうか。

検索エンジンで検索すれば、今の現代社会における芸術や、近代の芸術、もっと以前の芸術がたくさん挙がると思います。そしてそれらの情報からある程度の"芸術"というものの答えに近い概念が紹介されているかもしれません。

ワシは調べませんけどね。

ただひとつ思うのは、芸術とは、その時代の社会性と非常に結びつきがあることだと考えています。土地によっての文化もそうです。

『芸術的』と、この"的"を言葉に付け加えてしまえば、何だって芸術になります。料理の『芸術的な盛り付け』なんてまさにそうですね。その盛り付けの見た目の向こう側に、写実的な風景画のような綺麗な風景が重なって見えるのでしょうか。

洗濯物だって、美しく畳めば芸術に昇華できるでしょうか?

思考は人の数以上にあります。

"自由"、"不自由"、芸術だけに充てられる言葉ではありませんが、この二つの境界線も人の思考で全く変わると思います。異質なのか対極なのか、相関するものなのか。

自由でなくなればそれは不自由でしかないとワシは考えます。自由というものがあるから不自由というものが存在するとも考えます。

どんな場所でどんな生活を送り、どんな思考を持とうが、社会の輪の中(遣いたくない言葉ですが)で生きていくのならば、自由であれ不自由であれ、それ以前に秩序を守ったり法を犯さないということが、生きる上での前提になっています。

ワシは個人的に、そのような「人として当たり前」というようなものが存在するこの世の中には、"自由"なんてものは成立しないと考えています。極論ですが。

自由であれ、不自由であれ、芸術であればその表現の仕方が、光り輝く程の美しさを表したもの、酷く醜悪で憎悪に満ちた表現でも、それは芸術の一端です。そしてその表現を許せない人がいることなんて当たり前です。

特に社会を直接的に批判する、または風刺するような表現は「芸術ではない」と評されることが多々ありますが、その表したことの中身が一番重要です。

作品の中身を知らすことが真に表している芸術です。だから、歴史や社会情勢をもっと知ることが、芸術を観賞する側がまずしないといけないと考えています。

もちろん、何も考えずにただ底抜けに明るい表現も星の数ほどあると思います。

音楽は、どこまでいけるかな?

芸術家は、闘っています。社会や己と。

しかし同時に、芸術は金や地位、名声を得る為の手段であった(ある)ことも事実です。

何が正しくて、何が間違っているかなんて、『国』『地域』に嫌でも属さないといけない我々では、学校で真実を教えてくれることは万に一つもありません。全ては支配されているのだから。

思考は人の数以上にあります。

本当のことが全て、真実とは限らない。

まず己を疑え。

2019年10月2日水曜日

そのさんびゃくろくじゅうさん

久しぶりに、松本敏将さん(tobaccojuice,くふき)のライブを行わせて頂くことになりました。


松本敏将 弾き語り『後の月』

10/18(金) EL NAGUE (19:30〜)
10/20(日) JK富田 (19:30〜)
※投銭制(要1オーダー)

お問い合わせ
Quackery Records (quackeryrecords.echo@gmail.com)




◆EL NAGUE (エルナージ)
大阪市淀川区野中北1丁目4-19
阪急宝塚線 三国駅より徒歩約10分

◆JK富田 (ジェイケーとんだ)
大阪府高槻市寿町3-3-14
阪急京都線 富田駅より徒歩約15分


となっております。
両日ともに、投げ銭ライブになります。(要1オーダー)
予約は必要ございませんが、満員になりますと立ち見になってしまいます。お越しになられる方はお早めの来店にご協力ください。

ちなみに、催しタイトルの『後の月』(のちのつき)とは、秋のこの頃合いの季語です。松本さん、月好きなのでいろいろ思案致しました。意味も素敵なので、調べてみてください。


ぜひお越しください!素晴らしい音楽がお待ちしております。
よろしくお願いいたします。