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2020年7月27日月曜日

そのさんびゃくななじゅうきゅう

また久しぶりになってしまいました。
8月に金沢市へ移住することになりました。

 きっかけはいろいろあるのですが、昨年秋頃より、今暮らしてる京都の街を歩いたりすることが辛くなり、そんな折『移住支援』という機関があることを知り、移住したいなと考えるようになりました。

 入院や新型コロナウィルスの影響、その他の要因で、当初目標としていた春頃の移住からは少し遅くなりましたが、いよいよというところまで来ました。

 本当は能登半島の方を希望していたのですが、仕事のお世話をしてくれる別機関が金沢市にしかないということで『京都を離れたい』という気持ちが最優先だと思い、金沢市に決めました。

 今月初めに金沢へ赴き、アパートの内見と、仕事のお世話をしてくれる会社の見学をしてきました。

 京都には8年以上居ます。すっかり道に慣れてしまっていたので、くねくね曲がる道で方向感覚を失ったり、バスの乗り場や行き場が全く分からなかったりと、随分と苦労した下見でした。

 アパートの内見の前日、街を歩いたり迷ったりする中「本当にここで生活していけるのか」と不安になりました。

 金沢には身内はおろか、知人もいません。街に存在する全ての人間が『知らない人』です。人見知りの自分がそういう街で暮らしていける覚悟を持つことに、困惑していました。

 でも、アパートの内見の日、実際に部屋へ入ってから腹を括りました。

 本当は金沢へ行くだけで、気持ちが少し満足するんじゃないか、と思っていました。そこで満足していたら、不安を抱くことどころか、移住することに覚悟を決め、腹を括るということをしなかったかも知れません。

 大阪へ帰るという選択肢もありました。実はそれが一番自分にとって、金銭的にも気持ち的にも楽な選択でした。でもそれをえらぶことは嫌でした。

 京都と大阪が近いかというと、そうでもありません。それでも、いつでも会ったり顔を見せたりすることが出来る距離ではあります。大阪へ帰っても、これまでと変わらずに仲間たちに会い、顔を合わせ、話をして、良いことも悪いことも含め、気持ちを通わせることが出来ます。

 ワシは寂しがり屋で甘えたの人間です。大阪へ帰ったら、京都へ居る今よりもっと仲間たちに依存すると思います。それでは自分は何も変わりません。

 誰も居なくて寂しい想いはするだろうけど、みんなから離れて暮らして、自分を変えることが必要だと考えています。京都へ来た時はそういった不安定な気持ちを一切持ってこなかったので、甘えた環境に身を置いてしまいました。これは自分の責任です。

 移住したいと考えるようになってから、それだけが自分の気持ちを安らげる要素でした。でも実際に移住する日が近づいている今、寂しいです。でもワシは、もうこの街を歩くことすら出来なくなってしまっています。毎日通った商店街へも、もう1年近く近づくことが出来なくなりました。足が向かないという物理的なことではなく、考えるだけで目眩がしたり、目の前が真っ白になったり、頭は揺れ、心臓の鼓動が速く波打ちます。全て自分の行いのせいなのに。

 金沢へは、京都に来た時と同じく、希望を持って行きたいです。それに加えて不安も。

 死ぬまでそこへ留まるかも知れません。その死ぬ時まで仲間が出来ないかも知れません。でもそれでもいいんです。ワシはそろそろ独りで何でも出来るようにならなければいけません。助けられて、気遣われて、心配ばかりかけて生きてきました。誰かがそういう気持ちなんてどうでもいい、と言ってくれたとしても、このままではダメです。

 懺悔しないといけないことがあります。金沢へ行って、自分の気持ちが素直に落ち着くことが出来たら、きちんと懺悔しようと思います。

 19歳からずっと時間が止まっています。人生に巻き戻しも早送りもありません。淡々と今をゆっくりと土を踏み締めて歩いていかなければいけません。そんな簡単なことに気付くのに20年以上もかかりました。

 どんな日々が待っているか、想像は出来ません。きちんと土を踏み締め、自分の命にとって尊い日々を繰り返していきたいです。

2020年5月14日木曜日

そのさんびゃくななじゅうはち

『イレイサー』

「愛してる」一言だけ
伝えるそれも恋


誕生日に花を きみと一緒に摘んで
お花の冠ができました

夕暮れ時に街はだんだん明るくなって
きみと手を繋いで歩いたね

そのままがいい そのままでいい
ふたり離れ

蜃気楼の向こう側へ

何もなくただ笑って
過ごすことを望む


許されない罰を 重ねて重ねて歩いて
辿り着いたのがここでした

殺された月光が 闇へ沈んで隠れた
最期の一歩目が始まった

これからがいい これからでいい
ふたり離れ

六万回(65536回)生まれ変わった

悲しくて 泣いた朝に
いつも呼吸が止まる


そのままでいい これからでいい
ふたり離れ

消しカスの向こう側へ

「愛してる」一言だけ
伝えるそれも恋

何もなくまた笑って
転がる石を掴め


(2017年)
作詞・作曲・編曲 にっSUN


https://www.dropbox.com/s/hj33oajid3vvinz/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC.mp3?dl=0

2020年3月16日月曜日

そのさんびゃくろくじゅうきゅう

 数年前に脳波の検査を受ける事になって、少し大きな(ほんと少し)病院へ行きました。

 薄暗い部屋へ通され、頭に沢山の何やら機器を取り付けられ、いざ検査が始まると部屋は真っ暗に。

 その後、部屋の照明が赤くなったり明滅したり、変な音が鳴ったり止んだり、長い時間その検査は続きました。

 数週間後に検査結果が出て、病名をここへは記しませんが、光と音に弱い、という診断が下されました。場合によっては身体が痙攣したり、倒れて意識を失ったりするという病気ということでした。

 その検査結果を聞き、ワシは「おいおい、今までどうやってライブやってきてん」と思いました。
ライブハウスなんて、音はバカでかいし照明はギラギラです。

 でも他のバンドと少し違うのが、うちのバンドみんながそういった演出が苦手だったということと、その演出に見合った派手な楽曲が一切なかったということ。

 ライブのリハーサル前にセットリストといって、各パートの立ち位置や機材の置き場所、曲順やその曲調、どこでMCを入れるかとか、そういったことをライブハウスの担当の方々へ紙に書いて提出するのですが、その中には照明のオーダーなんかもあったりしました。

 うちのバンドは9割がテンポの遅い曲ばかりで、しかも曲調も暗いし、何より演出が苦手なメンバーばかりなので、照明のオーダーはいつも決まって『暗め』と全曲書いていたもんです。

 ライブ自体は多くても月に3本程度、各30分前後の演奏ばかりでしたが、今になって思うところがあります。
それは、だんだんバンドの活動が順調になってきた頃、ワシは1本のライブ演奏をやった次の日には、身体がほとんど動かせず、ひたすら眠っていたということ。ひょっとしたらその頃から前述の病気は発症していたのかも知れません。

 当時はただ単純に体力がないだけ、と思っていましたが、たかだか30分間でテンポの遅い曲ばかり演奏してそこまで疲れるものでもないと今になっては思います。だいたいラストは暴れてノイズ出してたけど、そんなの最後の2〜3分間のことだし。

 もちろん皆さんには分からないと思いますが、演奏というのは本当に体力や気力が相当削られます。集中している証でもあるとは思うのですが。
だからライブペイントで2時間以上も演奏を、それも即興での演奏というものは、一番の大仕事でした。バンドでの時はそれぞれ休み休み出来ますが、一度荒井良二さんのライブペイントで1人で演奏した時は、演奏中に力がどんどん何処かへ吸い取られていってるのが分かったくらいです。

 でも嬉しかったのは、いつもライブペイントで演奏させて頂いていた専門学校の校長先生が、バンド時代からも含めて「よかったよ。めちゃくちゃよかったよ」と初めて口に出して褒めて下さったことでした。そりゃあ、1人だから、余計に頑張りましたよ…。

 『病は気から』なんて話をこの前リキたちとお話してたのですが、それは本当にそうだと思います。もちろん気だけで発症したり回復したりするものでもないとは思います。

 ミュージシャンも大変でしたよ。

2020年1月24日金曜日

そのさんびゃくろくじゅうろく

ご無沙汰してしまいました…。

前回綴ったのが昨年の10月、しかも続きがあるお話をしたのに、その後何も綴らず…。大変申し訳ないです。

補足しておくと、ほっぺたが腫れて入院するというなんとも情け無いことに陥ってしまいましたが、松本敏将さんのライブがある為に退院を申し入れ、検査の結果も良好だったので、結局ライブの前日に退院させて頂きました。

ライブは2日間とも大成功でした。初日は松本さんとtobaccojuiceのおおくぼさんもご出演。お二人と同時にお会いするのはtobaccojuiceのライブ打ち上げ以来だったので嬉しかったです。2人の演奏、やっぱり好きです。本番前には3人で少し過ごし、なんだか得した気分でドキドキしました。



2日目の松本さんのパフォーマンスは、今まで観た松本さんのどのソロライブよりも、遥かに見事でした。凄まじいものを観させて頂きました。



ライブはもちろん、2日間に渡って、松本敏将さんと一緒に過ごすことが出来たことが、ワシにとって楽しいということば以外は思い浮かばない程の経験でした。

元々は彼のただのファンで、そんなただのファンがずけずけとライブ共演のお願いをしたりしましたが、一応これでも色々と考えました。そんなことしていいのかなって。

ライブ期間中は松本さんと色々話しました。2人で本番前に居酒屋へ行ったり、電車の中でワシが生まれた町の話をしたり、缶ビールをいっぱい奢ってくれました。

そう言えば、JK富田でのライブの日、ワシは電車を1本乗り過ごし(クソガキに券売機横入りされたから)、その後の電車で遅れを取り戻す為に普段乗らない特急へ乗り換えようと乗り換え駅で電車が来るのを待ち、電車が来てドアが開いたら、そのドアのすぐ横に松本さんが乗ってるというミラクルが起きました。松本さんはワシに「にっSUNとはなんだかシンクロするよね〜」といつもの柔らかなことばをくれました。

ライブが終わって2人で京都へ電車で移動中にもお話。松本さんはワシだけじゃなく、リキたちのことも「仲間みたいに思ってるよ」というようなことを言ってくれて、いつかバンドで共演しようとも言ってくれました。嬉しいです。

色々とかけてくれたことばの全てが、ずっとずっとワシの宝物になります。

ライブへ来て下さった方々、たいへん遅くなってしまいましたが、どうもありがとうございました。

さて、ワシは昨年いろんなことがあり、その全てを大っぴらにこんな場で話せることではないので割愛致しますが、移住をしようと現在調整中です。大阪へは帰りませんが。というより、帰りたくないです。元々移りたかった地へ移ります。

それに伴ってという訳でもないのですが、音楽の創作や活動から一旦引くことと致しました。移住してもいろいろ出来るような業界ではありますが、ワシの創作する音楽のどれもがとてもパーソナルなもので、そのパーソナルな内容を多大に含んだ自分自身の音楽を、これから先に演奏することが出来ないという判断を下したからです。

過去の作品を演奏しなければいい、という思いを抱くことは出来ません。同時に、捨てるということも出来ません。だから引くこととしました。

いつかまたその音楽たちを演奏したいという気持ちを抱く日が訪れるかも知れませんが、現状では無理です。

15歳でバンドを始め、16歳から曲作りをしています。もう25年です。毎年作る曲たちを形にすれば、どれもがとても大切なものになります。形にはならなかったものでも、今も自分の胸だけに収めている気持ちも沢山あります。

ただし、前述にあるように、松本敏将さんがワシを、ワシのバンドを共演に呼んでくれるようなことがあれば、それは話が別です。ワシはすぐにでもギターを握ります。まぁ、そういったお話はこないかな。。

でもワシは、松本さんと同じくtobaccojuiceのおおくぼさんにはいろんな面で助けられているから、このお二人が何かを成す時、その一端でも担えるようにお手伝いしたいといつまでも思っています。二人はワシの真のヒーローなのです。

それだけはいつまでも変わらない。変えたくない。

そいでもって、昨年で音楽は一旦おしまいとしましたが、そんなタイミングでリリースさせて頂けるお話を頂いたので、今回1曲リリースさせて頂きました。

15歳で組んだバンドで、4年後に生み出された曲です。ワシと相棒のかっちゃんの2人で作りました。



chap tune 『Yogurt Caramel』

↑こちらに各配信サイトが掲載されております。

この曲は後にザ・ソロシップスのライブでも何度か演奏しました。他にも何曲か候補がありましたが、この曲が結局は2人のバンドでの代表曲なのかな、と思い至りました。

元はカセットテープ作品で録音し、その後CDでも録音しました。今回リリースしたのは、そのCDバージョンを元にリマスタリングしています。

今までワシが頑なに使わなかったマスタリングの手法を最後だから使いました。やっぱり嫌な音です。でも、汚くてかっこいいです。

ダウンロード販売してますが、ストリーミングサービスで契約してる方はそちらでお楽しみ下さい。ダウンロードの方が儲かるのですけどね。

ワシにしか売り上げは入らない仕組みにしてやったので、儲かったらかっちゃんには金麦を1本奢ってあげようと思います。ワシはラガー飲むよ。

あともひとつ、ブログを綴るのがなかなか大変なのですが、その理由の一つに手軽に更新出来るようなツールがないからです。まぁ、アプリのことですけども。

家でMac使えば更新は出来ますが、キーボードで文字を打つことが遅いので、圧倒的にiPhoneの方がワシにとっては便利なのです。

ブラウザ開いてもブログ投稿のページ自体がモバイルに最適化されていないので、めちゃくちゃ不便です。

数年前までは公式のアプリがあったのですが、なくなってしまいました。Macは毎日使うけど、楽曲制作とか音楽や動画の管理、事務的なメールなどばかりです。

iPhoneなら寝転んでてもなんでも出来るので。

iPhoneでメモしたものをそのままブラウザにコピー&ペーストしたら、改行部分がなぜか二行になってしまうので、面倒でした。

今回は別のテキストアプリを入れて試してみたら、改行もきちんと出来ていたので、それで綴ってみました。

でもリンクはブログのページから直接設定するしかなさそうで…。アプリの説明が英語だし…。

ぼちぼちやります。

ほいでは〜☆

2019年10月22日火曜日

そのさんびゃくろくじゅうご


松本敏将 弾き語り『後の月』
EL NAGUE、JK富田、両会場にお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

と、その前に…。

先週の火曜日の夜から、ほっぺたが腫れて入院してました…。
その前の週の土曜日の深夜から急に腫れてきて、日曜日はなんとか我慢しましたが、眠れないほどほっぺたが痛かったので、月曜日に休日診療の病院へ行きました。祝日だったので。

腫れが始まった二日前に歯医者で虫歯の治療をし、そっち側のほっぺたが腫れたので、歯医者の診察を受けることにしました。
しばらく診て頂きましたが、すぐに大きな病院へ行くように言われ、その場で紹介状を書いて下さったので、その足で指定の病院へ向かいました。

大きな病院で沢山の検査を受けました。レントゲン、CTスキャン、血液検査、問診、3時間以上かかりましたが、結局は歯が原因ではないと。

そうしたら皮膚科の先生が来られ、膿が溜まっていると言われました。歯科の先生たちは「すぐに切開した方が良いんじゃないですか?」と言ってましたが、皮膚科の先生は「薬だけで大丈夫でしょう」と。

薬を飲むように言われ、翌日に最寄りの皮膚科を受診して下さいと言われ、その日は薬を飲んで翌日に最寄りの皮膚科へ行きました。

そうしたら、そちらの皮膚科で「大きな病院で血液検査を受けたなら、そちらの病院へ行って下さい」と、まさかの病院たらい回し。

その時点でもう夕方だったので、また翌日に大きな病院へ行こうと思いましたが、夜になって痛みの限界がきて、身体が動かなくなったので、救急車を自分で呼びました。

救急を呼ぶのは迂闊には出来ないので、悩みましたが、そうも言ってられず。でも救急の番号が分からなくて検索したという馬鹿なワシ…。

救急に電話し、症状を話している間に救急車を派遣するというスピーディーな仕事。すぐにサイレンが聞こえ、救急車に乗り込みました。

救急車の中で具合を話しましたが、本来なら痛み止めを飲んで翌日に自分で病院へ行って欲しいと言われましたが、ワシの様子をよく見ていてくださった救急隊員の方は、先に行っていた大きな病院へ受け入れの要請を出して下さり、要請が通るとすぐに救急車を走らせてくれました。本当に感謝しています。

救急車はサイレンを鳴らしながら走りましたが、四条通で少しゆっくりになりました。四条通は京都市内のメインストリートのひとつですが、何年か前に歩道を広く拡張し、車道を一車線にしました。観光メインの施策でしょうが、市民レベルの暮らしで言えば最悪な施策です。バスも混むし、こういった救急の場合や災害が起こってしまった場合は何の効力もありません。

ファック。

少し時間はかかりましたが、病院へ着いて、すぐに診て頂きました。でも初めに診て下さった先生はどうするか迷っていました。そうしたら、上の先生が来られ、ぱっとワシのほっぺたを見た途端「切りましょう」とすぐに言いました。「ここまでよく我慢しましたね」とも。

手術台ではないですが、処置室のベッドに寝転び、あの病院特有の眩しいライトが目の前を暗くし、すぐにほっぺたに麻酔を打たれました。「痛いですよ」と言われましたが、その通り、めちゃくちゃ痛かったです。すぐさま「メス」と聞こえ、ワシは「もう殺して…。」と思ってました。麻酔って効くまで時間がかかるもんだと勝手に思っていたので、麻酔を打ってから"メス"のタイミングまでの速さが、とてつもない進行速度でした。

そして何かがほっぺたに刺さった途端、真っ暗なワシの世界に見えない"噴水"が湧きました。西田汁の噴水です。

その刹那、痛みが最高潮に達しましたが、尚も西田汁を出すために先生はワシのほっぺたを指でぎゅうぎゅうと押しました。先生は女性の先生で、「ごめんね、痛いね、ごめんね」と何度も言ってくれました。単純に可愛かったです。先生が。

ほっぺたぎゅうぎゅうはとどまることを知らず、その間に来られたであろう看護師さんに先生が「噴水みたいでした」と言っていたので、ワシの暗闇世界噴水"西田汁"は本物だったようです。

ようやくほっぺたぎゅうぎゅうも終わり、灯りが消されると、やっと目を開くことができました。その途端に涙が流れました。大の大人が痛くて涙を流すなんて。

その後、入院することが決まり、2,3日くらいかなと勝手に考えていましたが、入院計画書には『1〜2週間』と記されていました。

その日は火曜日。松本さんのライブは金曜日が初日。

3日後、間に合わない…。

どうする西田…。

カミングスーン!

2019年9月1日日曜日

そのさんびゃくろくじゅうに

「ラジカセ欲しいなぁ」と思いながらラジオをiPhoneで聴いてたら、番組のゲストの方が『今欲しいもの』という質問に「CDラジカセ」と答えていらっしゃって、シンクロしました。

ワシはCDラジカセで育った世代なので、今でもあの音は特別です。ちょっと手とか足が当たったらCDの音が飛んだり、カセットテープにダビングしたら音が割れてたり。

そういうの、好きです。自然な感じ。

やがて自分で稼いだお金で、他の人よりかはほんの少しだけ高級なステレオコンポを買いましたが、それはもうカセットテープを聴くことが出来なくなっていて、代わりにMDが聴けました。

今では、MDはカセットテープよりも聴くのが難しいですね。反対に、レコードがカセットテープよりも聴くことが容易になってるなんて、想像もしていない時代でした。

、、、

初めて自分で曲を作れた日のことを、今でもよく覚えています。

少し早めに目覚めた朝、学校へ行くまでの時間にギターを弾いていました。そしたら、なんとなく弾いていたギターコードの流れに、メロディーが乗ってきました。

そのコードとメロディーを忘れるわけにはいかないと思って、学校へは行かず、ずっとギターを弾いて頭の中をメロディーで満たして、しかるべき時間に電気屋さんへ行って、一番安いテープレコーダーを買いました。

そして、家へ帰ってからその"音楽"をテープレコーダーに収めました。

今では携帯電話にも録音機能が付いてたりもするので、簡単な作業になってしまいましたが、ワシはあの日、喜びに満ちた顔でテープレコーダーを買いに行った鮮やかな日を、ずっと忘れません。

、、、

、、、、、

なのに、その日初めて作った"音楽"は、今ではもう覚えていません。どんな音楽だったのかなぁ。

カセットテープ、好き。

2019年6月23日日曜日

そのさんびゃくろくじゅういち

ふふふ。

ふふふ。

うふふ。



今日はY一家にお呼ばれして頂いて、晩ごはんをご馳走になってきました。

ごはん、美味しかったです!えーと、ハワイのポキ(?)とかいうごはんのんとか、鶏肉を焼いてバルサミコ酢かけて食べるんとか、生春巻きのんとか。自分もごはん作るから分かりますが、手が込んでいて作るの大変だったろうなぁ…。と感謝です。

ごはんを食べ終わってから、あれやこれやお話してたりしたら、灯りが少し暗くなって、「?」と思ってたら、奥さんのRねぇが歌いながらケーキを持ってきてくれて、みんなでお祝いしてくれました。

今月、誕生日なんです。

誕生日は25日なので、そんなことは頭に全くなく、めちゃくちゃびっくりしました。嬉しくて嬉しくて。

甥っ子がワシと誕生日が同じということもあるので、もう何十年と誕生日ケーキは食べてきましたが、今年はひとりだし、ケーキはなしかな、と思ってました。それが寂しかったのですが(ひとりで北山のマールブランシュ攻めたろかなとかは考えた)、こんなにワイワイとケーキを、しかもパンダのケーキを囲めるとは思ってもみなかったです。

プレゼントまで頂いて、ほんとにありがとう。

嬉しいからもう1枚。


この前、美帆さんのお店へ飲みに行って「そういえばニッシーさんていくつなんですか?年齢不詳です」と言われたのですが、今年で40歳になります。

ワシはこの「40歳」という年齢になるのが凄く恐怖で、避けたかったんですが、そうもいかず。

『ピーターパンシンドローム気取りか!』

と言われてしまいそうですが、ワシ自身の心の年齢は19歳で止まってるんです。

それは、ワシのほとんど全ての価値観や正義観、恋愛観や音楽観、芸術観もそうですが、そういった類のものを形作った年齢が19歳なのです。だから、そこで止まったまんまなんです。

もちろんそれ以降に参考になったことや勉強になったこと、知ったこと、たくさんありますが、基本は19歳のままです。

19歳当時のワシしか知らない人間はほぼいませんが、2人ほど30歳を越えてから会ったことがあります。2人とも「お前は変わらへんなぁ」と言ってました。それが良いのか悪いのかのかは、ワシにとってはどうでもいいことです。

40歳、怖くて怖くて、どうしようって思い詰めていて、とんでもなくくだらないことをしてしまい、沢山の方にご迷惑をおかけしてしまいましたが、今日このケーキを出してくれたY一家の気持ち、それも、とてつもなく大きくて広い愛情を伴った、このパンダのケーキを見て「大丈夫!ワシ、大丈夫🐼」と本気で思えました。

何かに悩んだり困ったり行き詰まった時、人は自分の決断やちからだけで乗り切れれば、それがいちばん良い事なのかもしれませんが、ワシはこうして向き合ってくれたり、助けてくれたり、背中を押してくれる、自分にとって誇れる仲間が一緒に居てくれる方が幸せです。『楽だから』ということでは決してなく。バンド気質なのかな。

最終バスで帰る時、帰りはいつも旦那さんのYちゃんがバス停まで送ってくれて、バスが来るまでお話してくれます。その僅かな時間も愛おしくて。バスが来ると寂しくて。

娘さんのAちゃんの、結末で思わず本気で叫んでしまった漫画も見せてくれました。あれは、才能があるのではなかろうか…。本気でびっくりしてしもた…。

Y一家、総出でいつも暖かく迎え入れてくれます。本当に嬉しくて、有り難くて、ワシはそんな一家を愛してます。いつもありがとうございます。


2019年4月20日土曜日

そのさんびゃくごじゅうきゅう

また随分とご無沙汰してしまいました。

姪っ子の家で暮らしている、亀の「すーさん」がお亡くなりになってしまいました。

人間以外の生き物の「死」は、『亡くなる』ではなく、『死んだ』と表現するのが本来の言葉遣いなのですが、なんだかアホらしい分け方なので、ワシは人間以外でも「亡くなる」と言っています。

知らせは出先で昼ごはんを食べている時に知りました。
ごはんを食べながら、ポロポロと涙が流れてきました。少し恥ずかしかったです。

「すーさん」という名前はワシが名付けました。「鈴木」が本名です。ファミリーキャットこももさんが来た時、名前に「勅使河原」という名前を提案しましたが、即刻却下されました。

すーさんは、癒しでした。狭い水槽の中で、バタバタともがき、時に脱走したり。
夏場は大きなタライに移されましたが、タライの縁に手足をかけて、脱走。みんなで探すと、テレビ台の裏側で埃だらけになったりしていました。

歩くのも割と早くて、その歩き姿はかっこよかったです。

人間もそれ以外の生き物もそうなのですが、ワシは「死」に直面すると、何かひとつ物語が終わったような感覚になります。ぱーっとエンドロールが流れます。そのエンドロールは決してハッピーエンドなんかじゃなく、とても淋しいものです。

一番気に入ってる写真。

微妙にこもも氏とツーショット。






すーさんは、楽しい生涯を送れたのかなぁ。

すーさん、ありがとう。また会おう。さよならなんて言わない。あの世できみに出会えたら、おっさん、嬉しいな。

今日はずっと泣いてる。

合掌



2019年3月2日土曜日

そのさんびゃくごじゅうはち

徐々に春めいてきましたね。ワシはこの冬自宅で「暖房器具は一切使わない」という目標を掲げてたんですが、遂にこれを達成しようとしてます。

うちにある、エアコン、ホットカーペット全てを使用しませんでした。

これは単にワシの頑張りによる達成ではなく、姉から貰ったどてら、サンタさんに貰ったニトリさんとこのNウォームのラグ、そして予報されていた通りのある程度の暖冬。

これらが重なり達成することが出来そうです。今もう昼間は春の装いでお出掛けしてます。

「1月と2月が勝負」

と思っていたので、3月になった今、もはや勝ったも同然です。

そういえば、もうあれは9年前になりますが、その9年前の2月のとある日、2月なのに凄く暖かい日があって、当時はどこへ行くにもクロスバイクで移動してたんですが、その日はいつもははめている手袋もなしで、上着も薄いブルゾン1枚で十分の日でした。

あまりにも暖かい2月の日だったので、よく覚えています。そしてその日ワシは当時の恋人と淀川で水見をし、スケッチブックに絵を描いて、木の枝にそれを括り付けて、旗にして岸に立て、そして初めてtobaccojuiceの音楽に触れた日となりました。

淀川は暖かい日が差し、水は太陽に照らされキラキラし、お惣菜屋さんで買ったカキフライはそこそこのお味で、ビールはやはりいつどこで飲んでも美味しかったです。

tobaccojuiceの音楽を初めて聴いた日でしたが、今日はTwitterでそのtobaccojuiceのギタリストのaoimonakaさんに、「秋にはしばらく遊びましょ」と言い(秋に京都へお越しになるので)、「いいねぇ」と返事下さったので「よーし、じゃああそこの居酒屋さんへ連れて行こう」とか、「寺社仏閣に興味はあるのだろうか…。」なんて考えてました。

なぜだかもなかさんには定期的に会いたくてなります。一緒にライブしたの、もう1年も前です。

話飛んで、うちの冷蔵庫はビジネスホテルにあるような、小型の冷蔵庫なのですが、ちょっときちんとした冷凍庫付きの大きめの冷蔵庫が必要になったので、蛍光灯を買うついでに電気屋さんで見てきました。

うーん、高い…のか、安い…のか、分からない値段でした。でもはっきり言えるのは、たかが2万5千円の冷蔵庫が買えない大人になってしまったのだな、ということです。情けない…。

ちなみに、その小型の冷蔵庫は、計3台あります。1台は元々部屋の備え付けのもの、2台目は、その備え付けの物が壊れてしまったので、友達が譲ってくれた物、3台目はその2台目も壊れてしまったので買った物です。

1台目は備え付けの物だということなので、元にあった場所で今はゴミ袋とか洗剤を入れてます。2台目は残念ながら邪魔なのでバルコニーにあります。捨てるのにお金がかかるので…。

また話飛んで。

冬場「粕汁」を作りたい衝動に毎年かられます。でも材料費なんかを考えるとなかなか作ることができない年もあって、今年も作りませんでした。酒粕って、198円もするもんやったっけ?

「食べたい」ということよりも「作りたい」という気持ちの方が先行しています。季節の食べ物なんかは、どれもそうです。

子供の頃、うちは貧乏でした。でも母親は姉弟3人の為に、懸命に料理を頑張ってくれていたと感じています。

正直、そんなに料理は上手ではなかったと思います。本人もそれを認めていたのか、ワシが20歳頃の時、「餃子ってどう焼いたらいいん?」と聞かれたので、若干18歳で居酒屋の料理長に昇りつめてしまったお料理上手なワシは教えたのですが、同時に「今までどうやって焼いててん…。」と思ったものでした。

でも、そんな母親が作ってくれたいくつもの料理の中で、今でも食べたいなぁと思うものが沢山あって、粕汁もそんな中の一品です。

直接母親の料理を教えてもらったことはないので、ワシが作ったところで同じ味にはならないし、「作る」という行為に関しては、同じものを作ろうとは思ってません。

でもそれを食べてきて、今ワシが粕汁を作りたいなぁと思うことが不思議です。

母親はとにかくなんでも大量に作る人でした。粕汁はもちろん、カレー、おでん、巻き寿司、からあげ、なんでもです。まぁその方が材料に無駄がなくて楽だったんでしょうね。合理的だと思います。

1日のどれか1食を単に作るということは、簡単なことです。でもそれはお金の無駄になります。ごはんを作る人は、材料を上手く使い回す為に「今日はこれを作るからアレを買って、アレが余ったらそれを使って別の物を作ろう」と、やりくりします。それは難しいことですが、同時にやり甲斐があったりもします。チラシとにらめっこするのもまた楽しいです。

冷蔵庫で野菜がしょんぼりしてしまっていたら、ワシもしょんぼりしてしまいます。

母親はもういないけど、何かワシが作りたいと思った時は、母親の料理を食べたいと思ってしまいます。そしてそれを、家族みんなで実家で食べたいです。

実家に帰りたいです。もう二度と叶わないけど。

2019年2月15日金曜日

そのさんびゃくごじゅうなな

姉ちゃんに子供ができたって知った時、ワシはめちゃくちゃ嬉しくて、そして
めちゃくちゃ舞い上がってしまいました。

どれくらい舞い上がってたかというと、出産予定月の5ヶ月前にワシがディズニーランドへ行った時に、被るとグーフィーになれるモコモコした帽子を買い、それが新生児どころか1歳児も被るには早い大きさの帽子を買ったことです。

あと、産まれた時に「よし、この子が小学生になる時、ランドセルはワシが買おう」と決めたことです。

無事に子供は産まれた訳ですが、その時にもう一つ抱いた気持ちがあります。

「あれ?自分の子供はいらないくらいかわいいではないか」

という気持ち。初めに産まれたのは女の子でした。ワシは17歳で「叔父」になりました。

その後、更に男の子が二人生まれました。


ワシ自身にも叔父が一人います。ワシがまだ幼稚園に通う前、家庭の事情でワシは姉と兄、母から離れ、叔父とお婆ちゃんと3人で暮らしてました。

叔父は厳しい人で、よく叱られました。お婆ちゃんは比較的ワシには甘かったです。
幼稚園へ上がる頃に、また姉兄と母と暮らしはじめました。

ワシが子供の頃は、夏休みや冬休みなどの長期休みの際は、姉兄と3人揃ってずっと叔父と婆ちゃんの家で過ごしました。

婆ちゃんはもう亡くなってしまいましたが、叔父には今もとてもお世話になってます。今日もうちへイタリア旅行のお土産を持って来てくれました。頭が上がりません。

叔父は厳しい人と綴りましたが、色んな事を教えてくれたり、色んな所へ連れて行ってくれました。昨年は2回も旅行へ連れていってくれました。

なもんで、ワシにはとても良い「叔父の見本」が身近に居ます。

ワシの母親が亡くなってから、ワシは姉ちゃんの家で実に5年も厄介になりました。もちろんそこにはワシの姪っ子と甥っ子が3人居ました。

まだ3人とも小さかったです。その時は丁度ワシはバンドの活動が活発で、月に何回かはステージに上がっていました。

3人はいつもワシのバンドのライブを観に来てくれました。ワシの友達で、まだこの子たちのことを覚えている人たちは沢山いると思います。

3人は、もう随分大きくなりました。「大きくなった」というより、上の二人はもう成人しました。3番目の子も、来年には高校卒業です。

ここまで、早かったなぁと思います。

ワシは、自分の叔父みたいに、色んなことを教えてあげたり、連れて行ったりすることは出来ませんでした。なんだか、情けないです。良いお手本がいるのに。

それでも、ワシはこの子たちが本当に大切な存在だとずっと想っています。なにかの力になれることは少ないですが、いつもこの子たちのことを想っています。

みんな、ワシたちの音楽をどんな気持ちで観てたのか、今でも考えますが、それはちょっとどうでもいいとも思うかな。


こんなことを自分で言うのは間違ってると思うし、情けないとは思いますが、ワシは凄く苦労して生きてます。それは今も。

うちは凄く貧乏で、そのせいでやりたい事ができなかったり、欲しい物を手にする事が出来なかったり。

母は、貧乏でもワシたちを凄く思いやって育ててくれました。それは感謝ということばだけでは表せない程、大変な苦労だったと思います。でも、同時にそれはワシ自身の苦労だと、ワシは思ってしまうのです。あ、母親のせいとは思いません。

顕著なのは「野球」が出来なかった事。本当にワシは野球がやりたかったのです。
「生まれ変わったらやりたい事」と問われると、迷わず野球です。

そんな気持ちを自分自身で抱いてしまうことは、ダメだとは思っています。
でも、だからこそ思うことは、姉ちゃんの子供たちにはワシみたいになってほしくないと思っています。

ワシはもう随分前から、生きるということに苦労とか辛さを感じていて、毎日毎日がとてもしんどいのです。

自分を見る周りの目とか、社会の感覚と自分の考えている感覚のズレが物凄くしんどく、違和感が凄くあります。それは、バンド活動を積極的にやっている時にも、何人かのメンバーに当時から違和感を実は抱いていて「そうじゃないねん」と考えてしまうことが度々あったもんです。実は話を合わせていました。


だから、姉ちゃんの子たちには、ワシみたいになって欲しくないと、ずっと思ってます。
子供たちが「しんどい」とか「辛い」とか思ってしまう時、どうにかワシは力になってあげたいと考えています。金銭的な援助は出来ないけど、心をどうにかして助けてあげたいです。こんな叔父でも。


自分の決断が間違ってしまうことは多々あるし、ふんばらないといけない事もあるとは思うんですけど、反対に、その間違った決断を「間違ってる」とする決断が必要な時もあると思います。筋を通すことは大切だけど、そのせいで自分を壊してしまっては元も子もないです。

姪っ子、甥っ子たちに大切にして欲しいことは、笑っていてほしいということです。

辛い時は、迷わずに、逃げろ。逃げた先がドン突きで、壁があったとしたら、全力で引き返せ。

壁を乗り越えることが全てじゃない。


ワシは「失敗はない」という考えを持っています。「失敗した」と思っていることは「最低限の成功」と考えています。

ワシは、君たちの決断を応援します。どうしても自分で何も出来ないと考えてしまうならば、その時は、一緒に、バンドやろうぜ。

2019年1月30日水曜日

そのさんびゃくごじゅうよん

こにゃんち、にっSUNです。

随分と久しぶりの更新になってしまいました…。遡れば、昨年の11月16日以来です…。

このブログ『Blogger』という、Googleのサービスを利用しているんですが、以前はiPhoneのアプリでもブログを更新することが出来ました。ですが、今そのアプリがなくなっちゃったので、どうしてもMacのキーボードでカチカチ打ち込まなくてはいけなくなり、どうもキーボードを打ち込むのが苦手でなかなか更新出来ない、という言い訳をしておきます。

さて、昨年11月以来ということですが、すっかり去年のことは忘れてしまったので、今年に入ってからの1月のことを中心に、つらつら綴ろうと思います。


まず、新年明けての元旦。例年、大晦日の夜から元旦の深夜まではカウントダウンのイベントに参加しているので、帰ってくるのが元旦の朝です。いつもはそのままお昼くらいまで寝ているのですが、今年はがんばって早起き。

パナソニックスタジアム吹田へ『皇后杯 JFA 第40回全日本女子サッカー選手権大会』の決勝戦を観戦しに行きました。今年のカードは日テレ・ベレーザ VS INAC神戸レオネッサでした。



スタンドは寒かったですが、試合は熱くいい試合でした。結果は、4-2で日テレ・ベレーザの勝利。INACを応援してるので残念だったけれど、新年早々サッカー観戦できる嬉しさが残りました。

次!


1月5日、奈良市のギャルリ・サンクさんへ『平成最後の大展覧会』というグループ展を観に行きました。



このグループ展は大阪市立大学 絵画部 青桃会OBの展覧会でした。参加作家さん達は平成元年、昭和の終わりに生まれた人たちです。1つの時代にぴったりフィットなみなさん。

青桃会の方達は、まだ彼女達が学生の頃に知り合いました。久しぶりにお会いしましたが、立派な女性になっていました。

猫神様がいらっしゃいました。

いろいろな表現の中、ワシが感じたものは、表現するということの楽しさと困難さ、それに付け加えて、この時代を駆け抜けた作家さんたちが、何を想い、どう成長し、それを作品にぶつけたか、ということです。

ワシは絵は描けませんが、ミュージシャンとして、表現するということの覚悟なんかをいつも想って作品作りに挑んでいます。

何を込めたのかは作家さんたちにしか本当のことは分からないけれど、そんなことを考えて観させて頂きました。いい展示でした。

ギャルリ・サンクさんは、近々閉店し、近くに移転して業態を変えてまたオープンなさるそうです。また新しくなった場所へも遊びに行こうと思います。




奈良の思い出。


先週、祇園の『フォーエバー現代美術館 祇園・京都』へ行ってきました。
そのうち行こうと思っていましたが、来月で建物との賃貸契約が終了し、そのまま閉館すると知り、慌てて行った次第であります。

「草間彌生 永遠の南瓜展」を観ました。草間彌生さんの作品を目の前で観たのは初めてでしたが、圧倒されました…。"とてつもないものを見た"という感想です。素晴らしかった。唸りました。



館内には写真撮影ができる所も何箇所かあり、撮りました。

ミュージアムカフェで食べた『ラブ・フォーエバーぜんざい』注文するのが少し恥ずかしかったです。

歌舞練場の看板と、草間彌生さんと言えばな、南瓜。

昨日は、府立植物園へ企画展の花染の白苑』を観てきました。
真冬の植物園は静寂に包まれ、とても静かで綺麗でした。

ズドーンと道。


どの作家さんの作品も、綺麗で美しく、魅了されました。
Instagramでいつも絵を拝見させて頂いている杉浦由紀さのバッジとポストカードを購入。いつも絵を観てて、綺麗な線だなぁと思っていたので、この目で作品が観られて良かったです。

いい。


ふう、こんなもんです。
今シーズンは「ノーエアコン ノーホットカーペット ノーこたつ」 の生活を続けています。たまに心が折れそうな寒さに見舞われていますが、暖冬傾向の今シーズンなので、なんとかやっています。

そいでそいで、今年は本業の音楽の方を、ほんの少しがんばろうと考えています。あまりにも昨年は何もしなかったので…。

昨年配信でリリースした『Re:Tower』ですが、全然宣伝していないので、あまり売上あがらず…。でも聴いて下さっている方がいるのはデータをみれば分かるので、有り難く感じております。

そういや、『グッバイ・ロックンロール』や『ボクノマチ』は海外からのデータも入ってきていましたが、Re:Towerは海外の方へはまだ届いていない様子。まあいいのだけど。

そうそう、Spotifyのアーティスト画面に、自分の写真が載るようになりました。前までは作品のジャケット画像しか表示されなかったので、なんだか認められた気分です。
インターネットで、「Spotify 日本人」と検索したら、数少ないそのページの紹介にワシが載ってました。それもまた嬉しい…。


Spotifyのアーティストページはこちら→「にっSUN」


ふう、疲れた…。あともう少し。

『note』というサービスを使い始めました。

こちらに、ワシの今までの音楽歴や、今想っている音楽感などを綴っていこうと考えています。

ページはこちら→『にっSUNのnote』

このnoteというのは、アカウント作成しなくても、基本的にどなたでも閲覧できます。料金設定なんかもできるそうですが、ワシは全て無料にて解放いたします。
それと、記事の下部にハートマークがあります。このハートマークを、記事の内容が気に入って下さったら押して頂けると嬉しいです。アカウント作成しなくとも押せます。

まあ、押すと言っても、読者さんやワシにメリットは特にありませんが…。

こちらのハートマークです。

これもマイペースになってしまいますが、今年で音楽を始めて25年を迎えます。「節目」と言うと少し大袈裟ですが、自分がどんな音楽史を歩んできたか、どんな想いで音楽と関わっているか、など、そういうのを綴っていこうと思います。

「自己紹介の自己アピール」みたいに、自慢(大したことはしてないけど)っぽくなってしまうこともあると思いますが、この年に刻んでおこうと思います。お付き合い頂ければ嬉しいです。

もちろん、このブログにも音楽のことやお知らせは今まで通りに綴ります。

繰り返し、ページはこちら→『にっSUNのnote』

そういえば、我がバンド『Echo of the SUN』ですが、バンド名の変更を考えています。どうなるかなぁ。


今年もよろしくお願いします!





2018年8月11日土曜日

そのさんびゃくよんじゅうきゅう

福井県へ一泊で行ってきました。




東尋坊

景色が素晴らしかったです。遊覧フェリーにも乗りました。船大好き。

東尋坊タワー。登らなかったけれど。




水族館。


宿泊したお宿の目の前は漁港。

舟盛り。

二日目にあそんだツリーカントリー。高い場所で、とにかく怖かったです…。

日帰り湯でお風呂も頂戴致しました。

魚の市場みたいなところでさかなクンのガチャガチャがあったので、自分のお土産でガチャガチャ。大好きなタツノオトシゴストラップが出て興奮しました。

最終日の晩御飯。豪勢…。とっても美味しかったです。

旅行はずいぶんと久しぶりでしたが、とっても楽しかったです。福井県、いいところ。また行きたいです。

2018年4月3日火曜日

そのさんびゃくよんじゅうよん

お知らせ。

、、、

、、、、、

一昨年に発足させた自主レーベルの『Quackery Records』ですが、終結させることにしました。理由は色々あって、人には決して話せないようなことも中にはあります。

でも終わらせるからといって、志半ばとか気持ちが下がったりするようなことではありません。まあでも実は名前を変えるだけなのですが。もう新しいのも考えて作ってあります。

『Quackery Records』という名前を用いるのは、自分にとっては難しいことだったのです。

新しいレーベルをいつから動かすかは決めていません。名前を変えただけで、それだけで終わりかもしれません。バンドがまた動き出せば何か始動するかも分かりません。

自分は飽き性(だと思っている)なので、2年にも満たない内に終わらせるなんてことはなんとも思っていません。でも色々手続きが面倒で、この間も四苦八苦致しました。

、、、

、、、、、

ソロアルバムでも作ろうかなあと、機材を少し買いました。6,000円の音楽アプリが半額の3,000円になっていたので、すかさずダウンロードしましたがこちらはちょっと後悔。

Echo of the SUNではベースを主に弾き、今までの一人での活動は、歌を唄うこともあったけど、歌のない音楽を久しぶりに作ろうかなあと考えています。ダンサブル、ふーっ。

次の生演奏については何も考えていません。イベントを打つことも何も考えていません。とりあえず作品をひとつ作りたいなあと思っています。ダンサブル、ふーっ。いつ出来上がるか分からないけれど。

久しぶりにリミックスなんてものをやりたいなあとふと思いましたが、いざ仕事が入ると面倒になりそうなので、その心は胸に秘めておくことにしました。

2018年2月26日月曜日

そのさんびゃくよんじゅういち

『El Nague 音楽会 vol.7』終了致しました。今回もご来場誠にありがとうございました。

そして、初めての投げ銭もどうもありがとうございました。

1組目、カヴリヴ。ワシは「むげん」(平仮名なのかカタカナなのか漢字なのか)という曲が大好きです。




1組目からアンコールありました。

2組目はワシ。写真はご勘弁を。

ワシも有難いことにアンコールいただきました。マイクとギターケーブル抜いてのアンプラグド演奏。もっと大きな声で歌わないといけませんね。

3組目はおおくぼあおいもなかさん。



今回もお話しを交えての演奏。凄く良かったです。お話し面白いですしね。


今回はセッションはなかったですが、ゆったり3組でお届け致しました。

朝起きて、おおくぼさんとコーヒーを飲みに行き、3時間たっぷりお話ししました。

なんだか役得だなぁと感じました。お昼におおくぼさんとお別れした時、寂しかったです。


今回のイベント、前回のイベントの時にもう決まっていたので、それから自分の曲を練習したり、新曲を作ったのですが、正直なところ「なんだかやりたくないなぁ…。」なんて思ってしまっていました。

何か焦りみたいなものが自分にあったのです。でも、今回のイベントが終わって、今度は次の予定がありません。そしたらこんどは何故だか終息感が酷くて、終わりは儚いなぁなんて思ってしまっています。

うーん、勝手だなぁ。


あ、そうそう、新しい曲を作って今回初披露したのですが、概ね好評で嬉しかったです。

あっさりした曲調で、ありきたりなことばを敢えて遣って作ったので、ちょっとどうかなぁって思っていました。

友達に送る曲。また演れたらいいな。


関わって下さった全ての皆様、有難う御座いました。

またね。きっとね。

2017年12月19日火曜日

そのさんびゃくさんじゅうきゅう

『El Nague 音楽会 vol.6』終了致しました。お越しになって下さった皆様、ありがとうございました。

 早田力学

 本井美帆

おおくぼあおいもなかきゃっと

以上、敬称略。

みなさん、素晴らしい演奏でした。

ワシは、写真NGです。(嘘)

ワシの演目は、

1.ボクノマチ
2.タワー
3.イレイサー
4.グッバイ・ロックンロール

の4曲でした。フルオケの打ち込みを使ったものから、だんだん音数を減らして最終的には弾き語りになるという構成にしてみました。

演奏は、、、色々想うことはあるのですが、演奏に関しての後ろ向きなことはもう綴らないと決めたので、これ以上言うことはありません。

最後は出演者揃っての「スタンドバイミー」のセッションをお届けしました。楽しいセッションでした。


まあ、なんといっても、おおくぼさんとご一緒出来たことが凄く、物凄く嬉しかったことなのです。

ライブ中にも申しましたが、ワシにとっておおくぼさんは、ヒーローなのです。おおくぼさんの所属する、tobaccojuiceというバンドにワシは命を救われたからです。以前に何度もご一緒させて頂いた、同じくtobaccojuiceの松本さんも、ワシのヒーローです。だから、この日はスペシャルだったのです。

この日演奏したタワーという曲、初めてソロ演奏をした東京タワーでのライブに向けて作った曲です。この曲を作っている時、それはもうバババっと出来上がりました。そんなタワーという曲を演奏したのが、ちょうど今から7年前の今日でした。

当時は色んな感情が溢れていて、精神的に不安定でした。(今もだけど)そんな時救われたのが、tobaccojuiceというバンドの音楽たちでした。だから、タワーという曲は、傍目からは分からないけれど、tobaccojuiceの影響を凄く受けているのです。


7年前の写真。(痩せてた)

7年前にはまさかそんな自分のヒーローたちとご一緒させて頂けるなんて、思ってもいませんでした。まさかこんな日が来るなんて…。


また来年の2月におおくぼさんとご一緒させて頂くことになりました。お知らせはまた追い追い致します。

ナージからの帰り道、おおくぼさんと二人で駅まで歩きました。凄く不思議な気分でした。閉じこもってイヤホンの向こう側から聴こえたギターの音色を奏でる人が、確かにそこには居ました。