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2021年8月8日日曜日

そのさんびゃくはちじゅうご

  今日で石川県へ来てちょうど一年が経ちました。とてもあっという間の一年でした。


 好きな場所もできました。お話する人もできました。


 こんなに心穏やかに過ごせるとは正直思ってもいませんでした。


 それでも、やっぱり大阪への大きな気持ちがあり、帰りたいな、と思うこともしばしばあります。


 あまり外出もしていないので、金沢という街に完全に慣れたとは言えませんし、文化や風習もそんなに把握できていないので、胸を張って『石川県民』と言える立場ではありません。もっと街に馴染みたいです。


 こちらの夏は大阪や京都よりも少し過ごしやすいです。それがちょっと嬉しく思います。


 結局丸一年大阪へ行くことはありませんでしたが、今月末には法事で大阪へ行きます。帰るところがないので、帰省とは言いませんし、法事が終わったらすぐに金沢へ帰ってくるので、誰かに会ったりどこかへ行くことはないけれど、それでも楽しみにしています。


 さて、来週11日水曜日にマイクロアルバム『手のひら』が配信リリースとなります。

ミニアルバムよりも規模が小さいので、マイクロと言っています。

『手のひら』
1.忘却
2.彼方
3.帰路
4.西陽
5.光景

各種配信サイトよりリリースされます。

 シングルも用意していますが、歌にするかエレクトロミュージックにするか、締め切りまで悩みます。
どうぞよろしくお願いします。


2021年5月30日日曜日

そのさんびゃくはちじゅうよん

  すっかり暖かくなり、もうじきに暑い日が続くでしょう。


 四月に自分にとって大きな出来事があり、気分良く毎日を過ごしています。嫌なことももちろんあったけど、それを上回ることがありました。


 北陸は雨が多く、天気が良い日がそんなに毎日続かないけど、まだ梅雨入りはしていません。今年は桜の開花が早かったり、梅雨入りが早い地域があったりと、いろんなことが早まっています。それが異常気象や地球温暖化と直接繋がっているかはワシには分かりませんが、なんとなく地球は悲鳴を上げているのかな、とは思います。


 今年はまだ音楽の仕事がなく、1曲も作っていないのですが、下半期には1曲くらいはリリースしたいなぁと考えています。


 ほなまた。



2021年3月5日金曜日

そのさんびゃくはちじゅうさん


  12月、1月と共に、雨や雪ばかりの天気で晴れる日がほとんどなかったのですが、ここしばらくはようやく晴れる日があるようになりました。


 やっぱり太陽の光があると違います。引きこもってても、気分は違います。


 気温も高くなる日があり、春へ向けて気候が安定してきているような気がします。


 晴れの日に見る、山に覆う雪がとても綺麗です。



2020年8月18日火曜日

そのさんびゃくはちじゅういち

 だんだんと新しい暮らしに慣れてきました。不便だなぁと今は思っている部分も、少しずつ解消されていくと思います。


 『住めば都』という言葉がありますが、正直なところこの言葉は好きではありません。そういった面があることは認めますが、結局のところは己がどうやって"都"と思えるように生活をもっていけるか、だと思っています。


 金沢は車社会だと、毎日痛感しています。バスもそれほど便利な移動手段ではないし、そもそも電車がまともに走ってないですから。地下鉄もないし。もうちょっとバス移動が容易であちこち行けるものだと思っていました。京都の便利なバス網と同じ考えでいたことは誤算です。京都のバス網は日本で一番ではないでしょうか。


 今日はうろうろしてると、小さいながらも田んぼに出会しました。夕方だったので、稲や葉に西日が当たり、きらきらと輝いていました。米という存在を改めて有り難いと思いました。




 ほんとはもっと輝いていました。上手く撮れませんでした。


 毎日お腹いっぱいごはんを食べたいですね。それはとても幸福なこと。



2020年8月14日金曜日

そのさんびゃくはちじゅう

 ブログの存在をすっかり忘れていました…。
先週の土曜日に、京都から石川県金沢市に移住してきました。
こちらはとても過ごしやすいです。


刺身、新鮮で美味しかったです。

金沢おでん。大阪よりほんの少しだけ味が濃くて食べやすい。

のどぐろの塩焼き。美味しかった…。

 アパートからほど近い所に犀川という川があって、美しいです。場所によって雰囲気の変わる川。水見にぴったりです。




 日中の気温は関西と変わらないけど、アパートの造り上熱が篭り難くて、日によっては日中でもクーラーがいらないほど。そういうところも良いです。

 こちらに来て良かったです。『声が明るくなった』と言われました。

 まだ慣れないことばかりだけれど、毎日少しづつ学んでいければと考えています。
新しいということは、大変なことだけれど、その分楽しみも多いです。

 この街の人間にきちんとなりたいです。

2020年7月27日月曜日

そのさんびゃくななじゅうきゅう

また久しぶりになってしまいました。
8月に金沢市へ移住することになりました。

 きっかけはいろいろあるのですが、昨年秋頃より、今暮らしてる京都の街を歩いたりすることが辛くなり、そんな折『移住支援』という機関があることを知り、移住したいなと考えるようになりました。

 入院や新型コロナウィルスの影響、その他の要因で、当初目標としていた春頃の移住からは少し遅くなりましたが、いよいよというところまで来ました。

 本当は能登半島の方を希望していたのですが、仕事のお世話をしてくれる別機関が金沢市にしかないということで『京都を離れたい』という気持ちが最優先だと思い、金沢市に決めました。

 今月初めに金沢へ赴き、アパートの内見と、仕事のお世話をしてくれる会社の見学をしてきました。

 京都には8年以上居ます。すっかり道に慣れてしまっていたので、くねくね曲がる道で方向感覚を失ったり、バスの乗り場や行き場が全く分からなかったりと、随分と苦労した下見でした。

 アパートの内見の前日、街を歩いたり迷ったりする中「本当にここで生活していけるのか」と不安になりました。

 金沢には身内はおろか、知人もいません。街に存在する全ての人間が『知らない人』です。人見知りの自分がそういう街で暮らしていける覚悟を持つことに、困惑していました。

 でも、アパートの内見の日、実際に部屋へ入ってから腹を括りました。

 本当は金沢へ行くだけで、気持ちが少し満足するんじゃないか、と思っていました。そこで満足していたら、不安を抱くことどころか、移住することに覚悟を決め、腹を括るということをしなかったかも知れません。

 大阪へ帰るという選択肢もありました。実はそれが一番自分にとって、金銭的にも気持ち的にも楽な選択でした。でもそれをえらぶことは嫌でした。

 京都と大阪が近いかというと、そうでもありません。それでも、いつでも会ったり顔を見せたりすることが出来る距離ではあります。大阪へ帰っても、これまでと変わらずに仲間たちに会い、顔を合わせ、話をして、良いことも悪いことも含め、気持ちを通わせることが出来ます。

 ワシは寂しがり屋で甘えたの人間です。大阪へ帰ったら、京都へ居る今よりもっと仲間たちに依存すると思います。それでは自分は何も変わりません。

 誰も居なくて寂しい想いはするだろうけど、みんなから離れて暮らして、自分を変えることが必要だと考えています。京都へ来た時はそういった不安定な気持ちを一切持ってこなかったので、甘えた環境に身を置いてしまいました。これは自分の責任です。

 移住したいと考えるようになってから、それだけが自分の気持ちを安らげる要素でした。でも実際に移住する日が近づいている今、寂しいです。でもワシは、もうこの街を歩くことすら出来なくなってしまっています。毎日通った商店街へも、もう1年近く近づくことが出来なくなりました。足が向かないという物理的なことではなく、考えるだけで目眩がしたり、目の前が真っ白になったり、頭は揺れ、心臓の鼓動が速く波打ちます。全て自分の行いのせいなのに。

 金沢へは、京都に来た時と同じく、希望を持って行きたいです。それに加えて不安も。

 死ぬまでそこへ留まるかも知れません。その死ぬ時まで仲間が出来ないかも知れません。でもそれでもいいんです。ワシはそろそろ独りで何でも出来るようにならなければいけません。助けられて、気遣われて、心配ばかりかけて生きてきました。誰かがそういう気持ちなんてどうでもいい、と言ってくれたとしても、このままではダメです。

 懺悔しないといけないことがあります。金沢へ行って、自分の気持ちが素直に落ち着くことが出来たら、きちんと懺悔しようと思います。

 19歳からずっと時間が止まっています。人生に巻き戻しも早送りもありません。淡々と今をゆっくりと土を踏み締めて歩いていかなければいけません。そんな簡単なことに気付くのに20年以上もかかりました。

 どんな日々が待っているか、想像は出来ません。きちんと土を踏み締め、自分の命にとって尊い日々を繰り返していきたいです。

2020年5月14日木曜日

そのさんびゃくななじゅうはち

『イレイサー』

「愛してる」一言だけ
伝えるそれも恋


誕生日に花を きみと一緒に摘んで
お花の冠ができました

夕暮れ時に街はだんだん明るくなって
きみと手を繋いで歩いたね

そのままがいい そのままでいい
ふたり離れ

蜃気楼の向こう側へ

何もなくただ笑って
過ごすことを望む


許されない罰を 重ねて重ねて歩いて
辿り着いたのがここでした

殺された月光が 闇へ沈んで隠れた
最期の一歩目が始まった

これからがいい これからでいい
ふたり離れ

六万回(65536回)生まれ変わった

悲しくて 泣いた朝に
いつも呼吸が止まる


そのままでいい これからでいい
ふたり離れ

消しカスの向こう側へ

「愛してる」一言だけ
伝えるそれも恋

何もなくまた笑って
転がる石を掴め


(2017年)
作詞・作曲・編曲 にっSUN


https://www.dropbox.com/s/hj33oajid3vvinz/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%BC.mp3?dl=0

2020年5月3日日曜日

そのさんびゃくななじゅうご


荒井良二さんのドローイング動画第三弾が公開されました。もう後半です。

 さて今回はお知らせがあります。今回のこのドローイング動画企画でワシが制作した全ての楽曲が収録されたアルバムを、5月13日(水)に配信リリースさせて頂けることになりました。

 元々、楽曲制作のお話を頂いた頃から決まっていたことなのですが、頃合いを見てこのタイミングでのお知らせとなりました。

 全ての楽曲といっても、手は加えてあります。動画用とアルバム用、二つの楽曲データをほぼ同時進行で制作していました。

 動画用の方では、映像自体に元々入っている荒井さんが絵を描く鉛筆の音などが入っており、それはそのまま残しておくのが自然だろうと思い、なるべくそういった音の邪魔にならない音作りをしました。分かりやすいところだと、なるべく音を真ん中から鳴らさない、といったところでしょうか。真ん中を避けて右から左から音が鳴るように極端にした楽曲もあります。

 アルバム用では、それらの制約をなくし、真ん中からも音を鳴らしています。単純にボリュームも上げています。ボリュームって上げたり下げたりすると音がちょっと変わるんですよ。専門的にはボリュームとは言いませんが。

 他にも、動画用には入れなかった音(楽器)やフレーズ、曲そのものの長さを変えたりと、いろいろ試行錯誤しました。1オクターブ下がってたりとか。

 そして何よりも、これが"アルバム"というひとつの作品であるということを意識しました。単純にサウンドトラック(一部の)のように映像で流れた順番で曲を並べるのではなく、はじめから"アルバム制作"ということも考慮して楽曲の雰囲気などをコントロールしました。絵との兼ね合いももちろん考えて。

 まだ最後まで動画が公開されていないから単純にお話できることではないけど、後半の更に後半では一番最初の方の楽曲の雰囲気を意図して変えました。統一感を取らずに流れを重視しました。

 動画には入っていなかった音を、アルバム用では入れたことでがらりとスケール感が変化した曲もあります。

 肝心のアルバムタイトルですが、タイトルは『日々、こだま』です。以前こちらに綴った歌のタイトルです。これも歌が出来た時から決めていたことです。

 アホはアホなりに色々考えてます。

 配信元などはいつも通りだと思うのですが、配信開始されればまたお知らせ致します。一部のサイトではダウンロード予約が6日から出来ます。価格はサイトによって違うのですが、概ね¥1,060前後です。

 Spotifyのような無料ストリーミングサービスでも聴けますが、恐らく無料のサービスでは曲順通りでは聴けないと思います。でももちろんそれで聴いて頂けるのは嬉しいことです。でも流れを考えて作った作品なので、曲順通りに聴いて頂きたいのがワシの真意です…。有料ストリーミングサービスに登録している方は、ぜひそちらでお聴き下さい。ダウンロードされるのが一番嬉しいですが…。あなたのポケットの中のスマホの中にワシの音楽がいつも一緒だと嬉しいです。

 ちなみに『日々、こだま』は日本リリース版でのタイトルで、外国では『Echo days』としてリリースされることになっています。海外配信サイト(Appleなど)からダウンロードすると、タイトルはそちらが表示されます。

 ワシは制作を考えすぎなくらい考えてやっているので(そうでない依頼もある)、今回は動画化ということも重なって本当に疲れました。毎日起きてから眠るまでが制作。その間は他アーティストやバンドの音楽を自ら聴くことはしませんでした。動画サイトで観る映画の主題歌などだけ。

 自分で作ったもの、作るものがいちばん良いと思ってそういうスタイルをとっています。おかげでワシはワシの大ファンです。

 ソロでのアルバム発表は初めてです。初めてで、特殊な経緯で出来上がった作品ですが、自慢の作品が出来ました。是非皆さんに聴いて頂きたいです。

 ちなみに、とある仕掛けを作品でしています。音楽家以外で聴き破るのは難しいとは思いますが…。次回の動画がヒントになると思います。
そんでブログだけの大きいヒント『○○と△△と××は⭐︎が▽』ということです。
一番初めに当てた方には、ワシの大切な何かをお贈りいたします。

 それから、こちらに綴った『日々、こだま』という楽曲の歌詞を見てもらい、何故このタイミングでこういう経緯を辿り、ワシが制作を受けて録音をし、どうして人が集まる場へ赴いてまで公園での弾き語り録音に固執したのかを考えてもらえればと思います。

 みんな、尊かったんですよ。当たり前のものがこの世で一番手放してはいけない宝物だったんです。

 この暗い世も、またそのうちに太陽と月が空に昇り、虹がかかります。手を離して喜ぶことができるようになったら、またみんな手を繋ぎましょう。ずっとずっと繋ぎましょう。


『日々、こだま』
5月13日(水) 配信開始

1.おわり、はじまり
2.いち
3.に
4.さん
5.よん
6.ご
7.ろく
8.なな
9.はち
10.きゅう
11.じゅう
12.じゅういち
13.じゅうに
14.日々、こだま


2020年4月27日月曜日

そのさんびゃくななじゅうさん

 荒井良二さんのドローイング動画へ加えた音楽制作のことを綴ろうと思います。といっても、まだあと2曲作らないといけないのですが。

 今回お話を頂いて考えたことは、まぁ当たり前ですがまずは動画を見て自分が何を感じるか、ということでした。そして動画を見ながら浮かんだことばや気をつけないといけない事、描いてる鉛筆の音を消したくないなとか、曲数などをメモしてから制作に挑みました。

 今まで荒井さんのライブペイントで何度か演奏させて頂いた時の感覚と、同じように描いてる動作を見ながらの音楽なのに、これはちょっと全く別物だなと思いました。

 ライブペイントの場合は目の前に荒井さんが絵を描いていき、眼前にその絵と対峙して感じたこと(音)を瞬時というか刹那に紡いで発音していたのですが、動画はそういう訳ではなく、何度でも見れるし、早送りしたり巻き戻ししたり出来るから、感覚が違いました。

 ほぼ全てを絵の順番通りに作曲していますが、初めは絵を描いている時間、それだけを考えて作ってみました。そしてそれを自分で動画に付け加え、具合を見てみました。うん、なんだかそれは間違いではなかったようです。

 2,3曲制作した後、今度は次に音楽を付ける動画を見ながら雰囲気を感じてそれを音にしたらどうなるかなと考え、それを反映しました。うん、それも間違いではなかったです。

 ただ、とても大変な制作です。だいたいどれもが同じような時間で描き上げられるし、通常のインストゥルメンタル音楽のように展開をさせるのも難しいです。ですから、ほとんどループミュージックで構成しています。動画の編集を自分ではなく、石川武志さんが手がけるということもあり、その作り方の方が編集もしやすいかなと思いました。

 ループする音楽は簡単に作れてしまうから反対に難しいのです。ずっと聴いていられるような繰り返しならば万々歳ですが、中々上手くはいかないし、そういう聴き方を出来る人も少ないので。だから同じ繰り返しでも、音数を途中で出し入れしたりして展開しているように聴かせたりしています。こういうやり方はオーソドックスではありますが。

 音楽単体に関して言えば、優しいものを目指しました。今の時世を考慮しての今回のお話だったので、なるべく暗くならないように志しました。ちょっと間抜けなリズムとかフレーズが凄く気に入っています。一人だけで音楽を作っていたら作らないような音とフレーズなので。ダサいものは敢えてよく作りますけど。その方がかっこいいから。

 そして、まだ動画は第二弾が公開されたばかりで、今この段階でお話するのも早いことかも知れませんが、最後に歌が1曲入る予定です。ずっと歌無しなのに最後だけ歌入ってびっくりされるのもちょっとな、と思ったので、今の段階で宣言しておきます。

 歌といっても、弾き語りを公園でしたものを録音しただけです。どうしても風の音を入れたかったのです。

 他の曲も音数(楽器)を極力減らしているので、最後に弾き語りが入っても違和感はありません。どうしようかな、先に歌詞だけ載せてもいいかな。ボツにならないかな。

 公園で録音した意味が他にもあります。そこの公園は大きな公園で、定期的に園内アナウンスがあります。今なら新型コロナウイルスについてのアナウンスもあるのです。そのアナウンスも入れたかったのです。

 色んな場所へ出掛けられない今の状況ですが、不必要なことで出掛けてしまっている人もいます。公園の広場へ行くと、大勢の人がいました。そりゃあずっと家に居るのも辛いし、外の空気を吸ったり軽い運動をしたりといったこともあるでしょう。でも、みんなが同じ所へ集まってしまっては意味がないのでは?団体でサッカーしている若い子たちがいました。マスクをしていない子もちらほら。

 自分だけマスクをつけて、手を繋いだ小さな子はマスク無し、そんな親子も。そしてそれを眺めるワシ。

 色んなことがおかしいのです。繰り返しますが、ワシもです。ただ、人のいない所をなるべく探しに探しはしました。そしてとっとと録音して去りました。録音は2日間やりました。

 歌詞載せます。


『日々、こだま』

ある日ぼくは風の匂いをかいで土に立っていた
今日もきみと二人でここにただいるだけだったんだ

今が消えていく

暗い空の中に太陽と月が昇る

まだハッピー まだラッキー
ついさっき またサンキューと言えた

こだまの毎日 それが全てで ひとつだけの尊さ
儚い昨日の無色透明な心に色をつけて

雨も優しい

明るい雲間に六色の虹が架かる

今がハッピー 今がラッキー
ついさっき まだ言えなかったことば

愛してね 愛するよ
手を繋ごう ずっと繋ごう


 以上です。自分なりに今回のことを考えて詩を綴りました。メロディーと詩、コード進行、全て同時進行で、すぐに出来ました。ほとんど何も迷うことなく、浮かんだことばが勝手にメロディーに乗り、それがコードと一体となりました。同時にパッと浮かんですぐに作曲出来ることがたまにありますが、今回の作品もそういうものと同じでした。

 捉えようによっては"ハッピー"とか"ラッキー"が良くない表現と捉われてしまうと思うので、先に簡単に説明しておくと、今の状況がハッピーだとかラッキーだとかということでは決してありません。この歌は"日常"="日々"のことを歌った歌です。何でもない日々の繰り返しが、実は一番尊いんです。嬉しいことがあり、悲しいことがあり、寂しさや怒りがあり、そして何にもない日もある。それが日々だと思います。

 その日々の繰り返しが"こだま"ということです。こだまは発信がないと返ってきません。今を生きるから明日があるということですかね。そして明日がこだまになって明後日になる。ずっとその繰り返しです。

 今回の制作については、今まで行った制作のどれもと違って、山ほど説明したいことがありますが、そういう訳にもいきませんし、なんせまだあと2曲作るのでこの辺りで。

早くオフライン飲み会したいですね。

2020年4月24日金曜日

そのさんびゃくななじゅうに

荒井良二【Drawing】

Drawing : 荒井良二/Ryoji Arai
Music: にっSUN
Edit&Planning : 石川武志/Takeshi Ishikawa

https://youtu.be/PGFlp0RikAA

 荒井良二さんのドローイング動画、ご覧頂けているでしょうか。ワシは毎日曲作りに励んでいます。

 並行して、歌のない楽曲ではなく、歌を1曲作りました。久しぶりにギターに弦を張り、その場で適当に弾いたコードで適当に乗せた歌詞が、そのままその歌になりました。

 楽曲の作り方はミュージシャンの数だけあると思います。ワシは高校一年生で曲作りを始めた当初は、なんとなく繋がりがいいコードをギターで弾いて、それなりになったら『ららら』のような言葉ではないものをギターを弾きながら歌い、それがメロディーになったら歌詞を後で付けていました。

 2,3年経ってからは、編曲を先に組み立て、そこへメロディーと歌詞を乗せるようになりました。

 他には、頭の中だけで完全に完成したものも何曲かあります。何故だか電車に乗ってぼーっとしてると出来上がります。そういう時は、メロディーもコードも歌詞も編曲も、全部出来上がります。これがいつも出来れば理想です。

 今回はパッと弾いたギターに乗ったことばがそのまま動き出し、歌詞とメロディー両方同時で作ることができました。編曲はやっていないです。今はそこまで手が回らない…。

 大好きなAIRさんが「メロディーに乗せて詞を書くことも意味がないからやめた」と歌いましたが、そんな感覚がぴったりくるような作曲でした。ことばがスイスイ浮かんで、メロディーも同時にスイスイ。メロディーがあればコードは勝手に付くし、逆もまた然り。

 後で驚いたのが、歌詞が練りに練ったような巧さがあり、何にも考えてない箇所までもが、別のことばとリンクしていたりして、びっくりしました。でもこれは多分、自分のことばのボキャブラリーが限られた中、25年も続けている詩を書くことの癖みたいなものが影響しているんじゃないかなぁと思います。

 良い歌が出来あがりました。聴いて頂ける機会があるかは今のところなんとも言えないですが、これぞにっSUNの歌、というようなものです。バンド用の歌じゃない。

 仮歌録って何回も聴いてます。
明日も曲作り。何曲出来るかなぁ。集中すると嫌なことも忘れられるから、それはちょっとまだラッキーです。

2020年2月16日日曜日

そのさんびゃくろくじゅうはち

 ちょうど一年くらい前、突然パンや甘いものを食べたい気持ちがとても減り、その他にも牛肉以外の肉が嫌だったり、さらに、牛肉よりも魚の方ばっかりを欲するようになりました。

 突然だったので理由が今でも分かりません。毎日のようにお昼はパンを食べてたし、晩ごはんの後は甘いものを食べたい欲があったのに。

 そんなこんなは今でもそんなに変わらないです。でもたまに甘いものとパンは食べるようになりました。

 何日か前、バレンタイデーでしたね。有名だけどパッと名前が思い出せないお店のチョコレートも貰いましたが、めちゃくちゃおいしかったです…。

 今日は明治のチョコレート。パッケージがパンダでした。でも本当は昔からロッテのガーナ派です。明治の工場へ見学に行ったこともあるけど、ガーナ好き。


2020年2月13日木曜日

そのさんびゃくろくじゅうなな

 『明日から頑張る』という気持ちを多くの方々は抱いたことがあるかと思います。
ダイエットや禁煙、勉強に、そんなに急ぐほどのことではないこと。

 そういう気持ちというのは、人それぞれかとは思いますが"最後に満喫する"というような気持ちが含まれていることが少なくはないと思います。

 ワシも、肥満だったり喫煙者ですので、思春期の頃はトレーニングをしたり、ここ何年かだと禁煙外来にも通ったことがあります。
しかしどれも上手くはいかなかったです。

 結局は己のやる気や踏ん張り、諦めない気持ち、我慢や根性といった覚悟が足りてはいないということだと思います。

 ワシは昨日「今日は鮭を食べる」という気持ちを抱き、スーパーへ出掛けました。すると鮭が凄く高値だったのです。貧乏なので諦めました。しかし、たとえ貧乏であろうが、決して買えない値段でなかったことはここに記しておきます。

 そして今日、昨日の気持ちを抱いたままスーパーへ寄りました。するとどうでしょう、鮭の切り身一切れが、なんと値下げシールが貼られた状態で60円で売っているではありませんか。

 過去の諦めの気持ちを決して捨ててしまわなくて良かったと心から思いました。

 ああ、鮭よ、ワシは凄く嬉しいです。

2019年10月22日火曜日

そのさんびゃくろくじゅうご


松本敏将 弾き語り『後の月』
EL NAGUE、JK富田、両会場にお越し頂いた皆様、ありがとうございました。

と、その前に…。

先週の火曜日の夜から、ほっぺたが腫れて入院してました…。
その前の週の土曜日の深夜から急に腫れてきて、日曜日はなんとか我慢しましたが、眠れないほどほっぺたが痛かったので、月曜日に休日診療の病院へ行きました。祝日だったので。

腫れが始まった二日前に歯医者で虫歯の治療をし、そっち側のほっぺたが腫れたので、歯医者の診察を受けることにしました。
しばらく診て頂きましたが、すぐに大きな病院へ行くように言われ、その場で紹介状を書いて下さったので、その足で指定の病院へ向かいました。

大きな病院で沢山の検査を受けました。レントゲン、CTスキャン、血液検査、問診、3時間以上かかりましたが、結局は歯が原因ではないと。

そうしたら皮膚科の先生が来られ、膿が溜まっていると言われました。歯科の先生たちは「すぐに切開した方が良いんじゃないですか?」と言ってましたが、皮膚科の先生は「薬だけで大丈夫でしょう」と。

薬を飲むように言われ、翌日に最寄りの皮膚科を受診して下さいと言われ、その日は薬を飲んで翌日に最寄りの皮膚科へ行きました。

そうしたら、そちらの皮膚科で「大きな病院で血液検査を受けたなら、そちらの病院へ行って下さい」と、まさかの病院たらい回し。

その時点でもう夕方だったので、また翌日に大きな病院へ行こうと思いましたが、夜になって痛みの限界がきて、身体が動かなくなったので、救急車を自分で呼びました。

救急を呼ぶのは迂闊には出来ないので、悩みましたが、そうも言ってられず。でも救急の番号が分からなくて検索したという馬鹿なワシ…。

救急に電話し、症状を話している間に救急車を派遣するというスピーディーな仕事。すぐにサイレンが聞こえ、救急車に乗り込みました。

救急車の中で具合を話しましたが、本来なら痛み止めを飲んで翌日に自分で病院へ行って欲しいと言われましたが、ワシの様子をよく見ていてくださった救急隊員の方は、先に行っていた大きな病院へ受け入れの要請を出して下さり、要請が通るとすぐに救急車を走らせてくれました。本当に感謝しています。

救急車はサイレンを鳴らしながら走りましたが、四条通で少しゆっくりになりました。四条通は京都市内のメインストリートのひとつですが、何年か前に歩道を広く拡張し、車道を一車線にしました。観光メインの施策でしょうが、市民レベルの暮らしで言えば最悪な施策です。バスも混むし、こういった救急の場合や災害が起こってしまった場合は何の効力もありません。

ファック。

少し時間はかかりましたが、病院へ着いて、すぐに診て頂きました。でも初めに診て下さった先生はどうするか迷っていました。そうしたら、上の先生が来られ、ぱっとワシのほっぺたを見た途端「切りましょう」とすぐに言いました。「ここまでよく我慢しましたね」とも。

手術台ではないですが、処置室のベッドに寝転び、あの病院特有の眩しいライトが目の前を暗くし、すぐにほっぺたに麻酔を打たれました。「痛いですよ」と言われましたが、その通り、めちゃくちゃ痛かったです。すぐさま「メス」と聞こえ、ワシは「もう殺して…。」と思ってました。麻酔って効くまで時間がかかるもんだと勝手に思っていたので、麻酔を打ってから"メス"のタイミングまでの速さが、とてつもない進行速度でした。

そして何かがほっぺたに刺さった途端、真っ暗なワシの世界に見えない"噴水"が湧きました。西田汁の噴水です。

その刹那、痛みが最高潮に達しましたが、尚も西田汁を出すために先生はワシのほっぺたを指でぎゅうぎゅうと押しました。先生は女性の先生で、「ごめんね、痛いね、ごめんね」と何度も言ってくれました。単純に可愛かったです。先生が。

ほっぺたぎゅうぎゅうはとどまることを知らず、その間に来られたであろう看護師さんに先生が「噴水みたいでした」と言っていたので、ワシの暗闇世界噴水"西田汁"は本物だったようです。

ようやくほっぺたぎゅうぎゅうも終わり、灯りが消されると、やっと目を開くことができました。その途端に涙が流れました。大の大人が痛くて涙を流すなんて。

その後、入院することが決まり、2,3日くらいかなと勝手に考えていましたが、入院計画書には『1〜2週間』と記されていました。

その日は火曜日。松本さんのライブは金曜日が初日。

3日後、間に合わない…。

どうする西田…。

カミングスーン!

2019年9月1日日曜日

そのさんびゃくろくじゅうに

「ラジカセ欲しいなぁ」と思いながらラジオをiPhoneで聴いてたら、番組のゲストの方が『今欲しいもの』という質問に「CDラジカセ」と答えていらっしゃって、シンクロしました。

ワシはCDラジカセで育った世代なので、今でもあの音は特別です。ちょっと手とか足が当たったらCDの音が飛んだり、カセットテープにダビングしたら音が割れてたり。

そういうの、好きです。自然な感じ。

やがて自分で稼いだお金で、他の人よりかはほんの少しだけ高級なステレオコンポを買いましたが、それはもうカセットテープを聴くことが出来なくなっていて、代わりにMDが聴けました。

今では、MDはカセットテープよりも聴くのが難しいですね。反対に、レコードがカセットテープよりも聴くことが容易になってるなんて、想像もしていない時代でした。

、、、

初めて自分で曲を作れた日のことを、今でもよく覚えています。

少し早めに目覚めた朝、学校へ行くまでの時間にギターを弾いていました。そしたら、なんとなく弾いていたギターコードの流れに、メロディーが乗ってきました。

そのコードとメロディーを忘れるわけにはいかないと思って、学校へは行かず、ずっとギターを弾いて頭の中をメロディーで満たして、しかるべき時間に電気屋さんへ行って、一番安いテープレコーダーを買いました。

そして、家へ帰ってからその"音楽"をテープレコーダーに収めました。

今では携帯電話にも録音機能が付いてたりもするので、簡単な作業になってしまいましたが、ワシはあの日、喜びに満ちた顔でテープレコーダーを買いに行った鮮やかな日を、ずっと忘れません。

、、、

、、、、、

なのに、その日初めて作った"音楽"は、今ではもう覚えていません。どんな音楽だったのかなぁ。

カセットテープ、好き。

2019年6月23日日曜日

そのさんびゃくろくじゅういち

ふふふ。

ふふふ。

うふふ。



今日はY一家にお呼ばれして頂いて、晩ごはんをご馳走になってきました。

ごはん、美味しかったです!えーと、ハワイのポキ(?)とかいうごはんのんとか、鶏肉を焼いてバルサミコ酢かけて食べるんとか、生春巻きのんとか。自分もごはん作るから分かりますが、手が込んでいて作るの大変だったろうなぁ…。と感謝です。

ごはんを食べ終わってから、あれやこれやお話してたりしたら、灯りが少し暗くなって、「?」と思ってたら、奥さんのRねぇが歌いながらケーキを持ってきてくれて、みんなでお祝いしてくれました。

今月、誕生日なんです。

誕生日は25日なので、そんなことは頭に全くなく、めちゃくちゃびっくりしました。嬉しくて嬉しくて。

甥っ子がワシと誕生日が同じということもあるので、もう何十年と誕生日ケーキは食べてきましたが、今年はひとりだし、ケーキはなしかな、と思ってました。それが寂しかったのですが(ひとりで北山のマールブランシュ攻めたろかなとかは考えた)、こんなにワイワイとケーキを、しかもパンダのケーキを囲めるとは思ってもみなかったです。

プレゼントまで頂いて、ほんとにありがとう。

嬉しいからもう1枚。


この前、美帆さんのお店へ飲みに行って「そういえばニッシーさんていくつなんですか?年齢不詳です」と言われたのですが、今年で40歳になります。

ワシはこの「40歳」という年齢になるのが凄く恐怖で、避けたかったんですが、そうもいかず。

『ピーターパンシンドローム気取りか!』

と言われてしまいそうですが、ワシ自身の心の年齢は19歳で止まってるんです。

それは、ワシのほとんど全ての価値観や正義観、恋愛観や音楽観、芸術観もそうですが、そういった類のものを形作った年齢が19歳なのです。だから、そこで止まったまんまなんです。

もちろんそれ以降に参考になったことや勉強になったこと、知ったこと、たくさんありますが、基本は19歳のままです。

19歳当時のワシしか知らない人間はほぼいませんが、2人ほど30歳を越えてから会ったことがあります。2人とも「お前は変わらへんなぁ」と言ってました。それが良いのか悪いのかのかは、ワシにとってはどうでもいいことです。

40歳、怖くて怖くて、どうしようって思い詰めていて、とんでもなくくだらないことをしてしまい、沢山の方にご迷惑をおかけしてしまいましたが、今日このケーキを出してくれたY一家の気持ち、それも、とてつもなく大きくて広い愛情を伴った、このパンダのケーキを見て「大丈夫!ワシ、大丈夫🐼」と本気で思えました。

何かに悩んだり困ったり行き詰まった時、人は自分の決断やちからだけで乗り切れれば、それがいちばん良い事なのかもしれませんが、ワシはこうして向き合ってくれたり、助けてくれたり、背中を押してくれる、自分にとって誇れる仲間が一緒に居てくれる方が幸せです。『楽だから』ということでは決してなく。バンド気質なのかな。

最終バスで帰る時、帰りはいつも旦那さんのYちゃんがバス停まで送ってくれて、バスが来るまでお話してくれます。その僅かな時間も愛おしくて。バスが来ると寂しくて。

娘さんのAちゃんの、結末で思わず本気で叫んでしまった漫画も見せてくれました。あれは、才能があるのではなかろうか…。本気でびっくりしてしもた…。

Y一家、総出でいつも暖かく迎え入れてくれます。本当に嬉しくて、有り難くて、ワシはそんな一家を愛してます。いつもありがとうございます。


2019年4月20日土曜日

そのさんびゃくごじゅうきゅう

また随分とご無沙汰してしまいました。

姪っ子の家で暮らしている、亀の「すーさん」がお亡くなりになってしまいました。

人間以外の生き物の「死」は、『亡くなる』ではなく、『死んだ』と表現するのが本来の言葉遣いなのですが、なんだかアホらしい分け方なので、ワシは人間以外でも「亡くなる」と言っています。

知らせは出先で昼ごはんを食べている時に知りました。
ごはんを食べながら、ポロポロと涙が流れてきました。少し恥ずかしかったです。

「すーさん」という名前はワシが名付けました。「鈴木」が本名です。ファミリーキャットこももさんが来た時、名前に「勅使河原」という名前を提案しましたが、即刻却下されました。

すーさんは、癒しでした。狭い水槽の中で、バタバタともがき、時に脱走したり。
夏場は大きなタライに移されましたが、タライの縁に手足をかけて、脱走。みんなで探すと、テレビ台の裏側で埃だらけになったりしていました。

歩くのも割と早くて、その歩き姿はかっこよかったです。

人間もそれ以外の生き物もそうなのですが、ワシは「死」に直面すると、何かひとつ物語が終わったような感覚になります。ぱーっとエンドロールが流れます。そのエンドロールは決してハッピーエンドなんかじゃなく、とても淋しいものです。

一番気に入ってる写真。

微妙にこもも氏とツーショット。






すーさんは、楽しい生涯を送れたのかなぁ。

すーさん、ありがとう。また会おう。さよならなんて言わない。あの世できみに出会えたら、おっさん、嬉しいな。

今日はずっと泣いてる。

合掌



2019年3月2日土曜日

そのさんびゃくごじゅうはち

徐々に春めいてきましたね。ワシはこの冬自宅で「暖房器具は一切使わない」という目標を掲げてたんですが、遂にこれを達成しようとしてます。

うちにある、エアコン、ホットカーペット全てを使用しませんでした。

これは単にワシの頑張りによる達成ではなく、姉から貰ったどてら、サンタさんに貰ったニトリさんとこのNウォームのラグ、そして予報されていた通りのある程度の暖冬。

これらが重なり達成することが出来そうです。今もう昼間は春の装いでお出掛けしてます。

「1月と2月が勝負」

と思っていたので、3月になった今、もはや勝ったも同然です。

そういえば、もうあれは9年前になりますが、その9年前の2月のとある日、2月なのに凄く暖かい日があって、当時はどこへ行くにもクロスバイクで移動してたんですが、その日はいつもははめている手袋もなしで、上着も薄いブルゾン1枚で十分の日でした。

あまりにも暖かい2月の日だったので、よく覚えています。そしてその日ワシは当時の恋人と淀川で水見をし、スケッチブックに絵を描いて、木の枝にそれを括り付けて、旗にして岸に立て、そして初めてtobaccojuiceの音楽に触れた日となりました。

淀川は暖かい日が差し、水は太陽に照らされキラキラし、お惣菜屋さんで買ったカキフライはそこそこのお味で、ビールはやはりいつどこで飲んでも美味しかったです。

tobaccojuiceの音楽を初めて聴いた日でしたが、今日はTwitterでそのtobaccojuiceのギタリストのaoimonakaさんに、「秋にはしばらく遊びましょ」と言い(秋に京都へお越しになるので)、「いいねぇ」と返事下さったので「よーし、じゃああそこの居酒屋さんへ連れて行こう」とか、「寺社仏閣に興味はあるのだろうか…。」なんて考えてました。

なぜだかもなかさんには定期的に会いたくてなります。一緒にライブしたの、もう1年も前です。

話飛んで、うちの冷蔵庫はビジネスホテルにあるような、小型の冷蔵庫なのですが、ちょっときちんとした冷凍庫付きの大きめの冷蔵庫が必要になったので、蛍光灯を買うついでに電気屋さんで見てきました。

うーん、高い…のか、安い…のか、分からない値段でした。でもはっきり言えるのは、たかが2万5千円の冷蔵庫が買えない大人になってしまったのだな、ということです。情けない…。

ちなみに、その小型の冷蔵庫は、計3台あります。1台は元々部屋の備え付けのもの、2台目は、その備え付けの物が壊れてしまったので、友達が譲ってくれた物、3台目はその2台目も壊れてしまったので買った物です。

1台目は備え付けの物だということなので、元にあった場所で今はゴミ袋とか洗剤を入れてます。2台目は残念ながら邪魔なのでバルコニーにあります。捨てるのにお金がかかるので…。

また話飛んで。

冬場「粕汁」を作りたい衝動に毎年かられます。でも材料費なんかを考えるとなかなか作ることができない年もあって、今年も作りませんでした。酒粕って、198円もするもんやったっけ?

「食べたい」ということよりも「作りたい」という気持ちの方が先行しています。季節の食べ物なんかは、どれもそうです。

子供の頃、うちは貧乏でした。でも母親は姉弟3人の為に、懸命に料理を頑張ってくれていたと感じています。

正直、そんなに料理は上手ではなかったと思います。本人もそれを認めていたのか、ワシが20歳頃の時、「餃子ってどう焼いたらいいん?」と聞かれたので、若干18歳で居酒屋の料理長に昇りつめてしまったお料理上手なワシは教えたのですが、同時に「今までどうやって焼いててん…。」と思ったものでした。

でも、そんな母親が作ってくれたいくつもの料理の中で、今でも食べたいなぁと思うものが沢山あって、粕汁もそんな中の一品です。

直接母親の料理を教えてもらったことはないので、ワシが作ったところで同じ味にはならないし、「作る」という行為に関しては、同じものを作ろうとは思ってません。

でもそれを食べてきて、今ワシが粕汁を作りたいなぁと思うことが不思議です。

母親はとにかくなんでも大量に作る人でした。粕汁はもちろん、カレー、おでん、巻き寿司、からあげ、なんでもです。まぁその方が材料に無駄がなくて楽だったんでしょうね。合理的だと思います。

1日のどれか1食を単に作るということは、簡単なことです。でもそれはお金の無駄になります。ごはんを作る人は、材料を上手く使い回す為に「今日はこれを作るからアレを買って、アレが余ったらそれを使って別の物を作ろう」と、やりくりします。それは難しいことですが、同時にやり甲斐があったりもします。チラシとにらめっこするのもまた楽しいです。

冷蔵庫で野菜がしょんぼりしてしまっていたら、ワシもしょんぼりしてしまいます。

母親はもういないけど、何かワシが作りたいと思った時は、母親の料理を食べたいと思ってしまいます。そしてそれを、家族みんなで実家で食べたいです。

実家に帰りたいです。もう二度と叶わないけど。

2019年2月15日金曜日

そのさんびゃくごじゅうなな

姉ちゃんに子供ができたって知った時、ワシはめちゃくちゃ嬉しくて、そして
めちゃくちゃ舞い上がってしまいました。

どれくらい舞い上がってたかというと、出産予定月の5ヶ月前にワシがディズニーランドへ行った時に、被るとグーフィーになれるモコモコした帽子を買い、それが新生児どころか1歳児も被るには早い大きさの帽子を買ったことです。

あと、産まれた時に「よし、この子が小学生になる時、ランドセルはワシが買おう」と決めたことです。

無事に子供は産まれた訳ですが、その時にもう一つ抱いた気持ちがあります。

「あれ?自分の子供はいらないくらいかわいいではないか」

という気持ち。初めに産まれたのは女の子でした。ワシは17歳で「叔父」になりました。

その後、更に男の子が二人生まれました。


ワシ自身にも叔父が一人います。ワシがまだ幼稚園に通う前、家庭の事情でワシは姉と兄、母から離れ、叔父とお婆ちゃんと3人で暮らしてました。

叔父は厳しい人で、よく叱られました。お婆ちゃんは比較的ワシには甘かったです。
幼稚園へ上がる頃に、また姉兄と母と暮らしはじめました。

ワシが子供の頃は、夏休みや冬休みなどの長期休みの際は、姉兄と3人揃ってずっと叔父と婆ちゃんの家で過ごしました。

婆ちゃんはもう亡くなってしまいましたが、叔父には今もとてもお世話になってます。今日もうちへイタリア旅行のお土産を持って来てくれました。頭が上がりません。

叔父は厳しい人と綴りましたが、色んな事を教えてくれたり、色んな所へ連れて行ってくれました。昨年は2回も旅行へ連れていってくれました。

なもんで、ワシにはとても良い「叔父の見本」が身近に居ます。

ワシの母親が亡くなってから、ワシは姉ちゃんの家で実に5年も厄介になりました。もちろんそこにはワシの姪っ子と甥っ子が3人居ました。

まだ3人とも小さかったです。その時は丁度ワシはバンドの活動が活発で、月に何回かはステージに上がっていました。

3人はいつもワシのバンドのライブを観に来てくれました。ワシの友達で、まだこの子たちのことを覚えている人たちは沢山いると思います。

3人は、もう随分大きくなりました。「大きくなった」というより、上の二人はもう成人しました。3番目の子も、来年には高校卒業です。

ここまで、早かったなぁと思います。

ワシは、自分の叔父みたいに、色んなことを教えてあげたり、連れて行ったりすることは出来ませんでした。なんだか、情けないです。良いお手本がいるのに。

それでも、ワシはこの子たちが本当に大切な存在だとずっと想っています。なにかの力になれることは少ないですが、いつもこの子たちのことを想っています。

みんな、ワシたちの音楽をどんな気持ちで観てたのか、今でも考えますが、それはちょっとどうでもいいとも思うかな。


こんなことを自分で言うのは間違ってると思うし、情けないとは思いますが、ワシは凄く苦労して生きてます。それは今も。

うちは凄く貧乏で、そのせいでやりたい事ができなかったり、欲しい物を手にする事が出来なかったり。

母は、貧乏でもワシたちを凄く思いやって育ててくれました。それは感謝ということばだけでは表せない程、大変な苦労だったと思います。でも、同時にそれはワシ自身の苦労だと、ワシは思ってしまうのです。あ、母親のせいとは思いません。

顕著なのは「野球」が出来なかった事。本当にワシは野球がやりたかったのです。
「生まれ変わったらやりたい事」と問われると、迷わず野球です。

そんな気持ちを自分自身で抱いてしまうことは、ダメだとは思っています。
でも、だからこそ思うことは、姉ちゃんの子供たちにはワシみたいになってほしくないと思っています。

ワシはもう随分前から、生きるということに苦労とか辛さを感じていて、毎日毎日がとてもしんどいのです。

自分を見る周りの目とか、社会の感覚と自分の考えている感覚のズレが物凄くしんどく、違和感が凄くあります。それは、バンド活動を積極的にやっている時にも、何人かのメンバーに当時から違和感を実は抱いていて「そうじゃないねん」と考えてしまうことが度々あったもんです。実は話を合わせていました。


だから、姉ちゃんの子たちには、ワシみたいになって欲しくないと、ずっと思ってます。
子供たちが「しんどい」とか「辛い」とか思ってしまう時、どうにかワシは力になってあげたいと考えています。金銭的な援助は出来ないけど、心をどうにかして助けてあげたいです。こんな叔父でも。


自分の決断が間違ってしまうことは多々あるし、ふんばらないといけない事もあるとは思うんですけど、反対に、その間違った決断を「間違ってる」とする決断が必要な時もあると思います。筋を通すことは大切だけど、そのせいで自分を壊してしまっては元も子もないです。

姪っ子、甥っ子たちに大切にして欲しいことは、笑っていてほしいということです。

辛い時は、迷わずに、逃げろ。逃げた先がドン突きで、壁があったとしたら、全力で引き返せ。

壁を乗り越えることが全てじゃない。


ワシは「失敗はない」という考えを持っています。「失敗した」と思っていることは「最低限の成功」と考えています。

ワシは、君たちの決断を応援します。どうしても自分で何も出来ないと考えてしまうならば、その時は、一緒に、バンドやろうぜ。

2019年2月10日日曜日

そのさんびゃくごじゅうろく

昨日から体調が悪く、昨日は夜に救急病院へ行きました。

自分は持病がいくつかあるのですが、その病気たちにピシッと当てはまる症状がなく、医者に説明するのにも表現がし辛い症状で、困りました。

結局、なんの処置もされることなく、薬も出ずでそのまま帰ってきました。

症状をなんとか自分なりに言葉にして、インターネットで検索しているのですが、分からず…。

参ったなぁ。

2019年1月30日水曜日

そのさんびゃくごじゅうよん

こにゃんち、にっSUNです。

随分と久しぶりの更新になってしまいました…。遡れば、昨年の11月16日以来です…。

このブログ『Blogger』という、Googleのサービスを利用しているんですが、以前はiPhoneのアプリでもブログを更新することが出来ました。ですが、今そのアプリがなくなっちゃったので、どうしてもMacのキーボードでカチカチ打ち込まなくてはいけなくなり、どうもキーボードを打ち込むのが苦手でなかなか更新出来ない、という言い訳をしておきます。

さて、昨年11月以来ということですが、すっかり去年のことは忘れてしまったので、今年に入ってからの1月のことを中心に、つらつら綴ろうと思います。


まず、新年明けての元旦。例年、大晦日の夜から元旦の深夜まではカウントダウンのイベントに参加しているので、帰ってくるのが元旦の朝です。いつもはそのままお昼くらいまで寝ているのですが、今年はがんばって早起き。

パナソニックスタジアム吹田へ『皇后杯 JFA 第40回全日本女子サッカー選手権大会』の決勝戦を観戦しに行きました。今年のカードは日テレ・ベレーザ VS INAC神戸レオネッサでした。



スタンドは寒かったですが、試合は熱くいい試合でした。結果は、4-2で日テレ・ベレーザの勝利。INACを応援してるので残念だったけれど、新年早々サッカー観戦できる嬉しさが残りました。

次!


1月5日、奈良市のギャルリ・サンクさんへ『平成最後の大展覧会』というグループ展を観に行きました。



このグループ展は大阪市立大学 絵画部 青桃会OBの展覧会でした。参加作家さん達は平成元年、昭和の終わりに生まれた人たちです。1つの時代にぴったりフィットなみなさん。

青桃会の方達は、まだ彼女達が学生の頃に知り合いました。久しぶりにお会いしましたが、立派な女性になっていました。

猫神様がいらっしゃいました。

いろいろな表現の中、ワシが感じたものは、表現するということの楽しさと困難さ、それに付け加えて、この時代を駆け抜けた作家さんたちが、何を想い、どう成長し、それを作品にぶつけたか、ということです。

ワシは絵は描けませんが、ミュージシャンとして、表現するということの覚悟なんかをいつも想って作品作りに挑んでいます。

何を込めたのかは作家さんたちにしか本当のことは分からないけれど、そんなことを考えて観させて頂きました。いい展示でした。

ギャルリ・サンクさんは、近々閉店し、近くに移転して業態を変えてまたオープンなさるそうです。また新しくなった場所へも遊びに行こうと思います。




奈良の思い出。


先週、祇園の『フォーエバー現代美術館 祇園・京都』へ行ってきました。
そのうち行こうと思っていましたが、来月で建物との賃貸契約が終了し、そのまま閉館すると知り、慌てて行った次第であります。

「草間彌生 永遠の南瓜展」を観ました。草間彌生さんの作品を目の前で観たのは初めてでしたが、圧倒されました…。"とてつもないものを見た"という感想です。素晴らしかった。唸りました。



館内には写真撮影ができる所も何箇所かあり、撮りました。

ミュージアムカフェで食べた『ラブ・フォーエバーぜんざい』注文するのが少し恥ずかしかったです。

歌舞練場の看板と、草間彌生さんと言えばな、南瓜。

昨日は、府立植物園へ企画展の花染の白苑』を観てきました。
真冬の植物園は静寂に包まれ、とても静かで綺麗でした。

ズドーンと道。


どの作家さんの作品も、綺麗で美しく、魅了されました。
Instagramでいつも絵を拝見させて頂いている杉浦由紀さのバッジとポストカードを購入。いつも絵を観てて、綺麗な線だなぁと思っていたので、この目で作品が観られて良かったです。

いい。


ふう、こんなもんです。
今シーズンは「ノーエアコン ノーホットカーペット ノーこたつ」 の生活を続けています。たまに心が折れそうな寒さに見舞われていますが、暖冬傾向の今シーズンなので、なんとかやっています。

そいでそいで、今年は本業の音楽の方を、ほんの少しがんばろうと考えています。あまりにも昨年は何もしなかったので…。

昨年配信でリリースした『Re:Tower』ですが、全然宣伝していないので、あまり売上あがらず…。でも聴いて下さっている方がいるのはデータをみれば分かるので、有り難く感じております。

そういや、『グッバイ・ロックンロール』や『ボクノマチ』は海外からのデータも入ってきていましたが、Re:Towerは海外の方へはまだ届いていない様子。まあいいのだけど。

そうそう、Spotifyのアーティスト画面に、自分の写真が載るようになりました。前までは作品のジャケット画像しか表示されなかったので、なんだか認められた気分です。
インターネットで、「Spotify 日本人」と検索したら、数少ないそのページの紹介にワシが載ってました。それもまた嬉しい…。


Spotifyのアーティストページはこちら→「にっSUN」


ふう、疲れた…。あともう少し。

『note』というサービスを使い始めました。

こちらに、ワシの今までの音楽歴や、今想っている音楽感などを綴っていこうと考えています。

ページはこちら→『にっSUNのnote』

このnoteというのは、アカウント作成しなくても、基本的にどなたでも閲覧できます。料金設定なんかもできるそうですが、ワシは全て無料にて解放いたします。
それと、記事の下部にハートマークがあります。このハートマークを、記事の内容が気に入って下さったら押して頂けると嬉しいです。アカウント作成しなくとも押せます。

まあ、押すと言っても、読者さんやワシにメリットは特にありませんが…。

こちらのハートマークです。

これもマイペースになってしまいますが、今年で音楽を始めて25年を迎えます。「節目」と言うと少し大袈裟ですが、自分がどんな音楽史を歩んできたか、どんな想いで音楽と関わっているか、など、そういうのを綴っていこうと思います。

「自己紹介の自己アピール」みたいに、自慢(大したことはしてないけど)っぽくなってしまうこともあると思いますが、この年に刻んでおこうと思います。お付き合い頂ければ嬉しいです。

もちろん、このブログにも音楽のことやお知らせは今まで通りに綴ります。

繰り返し、ページはこちら→『にっSUNのnote』

そういえば、我がバンド『Echo of the SUN』ですが、バンド名の変更を考えています。どうなるかなぁ。


今年もよろしくお願いします!