明日、新曲の『Love』がリリースされます。
Love by にっSUN https://linkco.re/Fb5rFuaX
明日リリースです。リリースが開始されると、こちらのページにリンクが掲載されますので、ブックマークなどをしてお待ち下さい。よろしくお願い致します。
ちなみに、タイトル、楽曲、ジャケット画像には何の関連もございません。
2019年6月8日土曜日
2019年4月20日土曜日
そのさんびゃくごじゅうきゅう
また随分とご無沙汰してしまいました。
姪っ子の家で暮らしている、亀の「すーさん」がお亡くなりになってしまいました。
人間以外の生き物の「死」は、『亡くなる』ではなく、『死んだ』と表現するのが本来の言葉遣いなのですが、なんだかアホらしい分け方なので、ワシは人間以外でも「亡くなる」と言っています。
知らせは出先で昼ごはんを食べている時に知りました。
ごはんを食べながら、ポロポロと涙が流れてきました。少し恥ずかしかったです。
「すーさん」という名前はワシが名付けました。「鈴木」が本名です。ファミリーキャットこももさんが来た時、名前に「勅使河原」という名前を提案しましたが、即刻却下されました。
すーさんは、癒しでした。狭い水槽の中で、バタバタともがき、時に脱走したり。
夏場は大きなタライに移されましたが、タライの縁に手足をかけて、脱走。みんなで探すと、テレビ台の裏側で埃だらけになったりしていました。
歩くのも割と早くて、その歩き姿はかっこよかったです。
人間もそれ以外の生き物もそうなのですが、ワシは「死」に直面すると、何かひとつ物語が終わったような感覚になります。ぱーっとエンドロールが流れます。そのエンドロールは決してハッピーエンドなんかじゃなく、とても淋しいものです。
姪っ子の家で暮らしている、亀の「すーさん」がお亡くなりになってしまいました。
人間以外の生き物の「死」は、『亡くなる』ではなく、『死んだ』と表現するのが本来の言葉遣いなのですが、なんだかアホらしい分け方なので、ワシは人間以外でも「亡くなる」と言っています。
知らせは出先で昼ごはんを食べている時に知りました。
ごはんを食べながら、ポロポロと涙が流れてきました。少し恥ずかしかったです。
「すーさん」という名前はワシが名付けました。「鈴木」が本名です。ファミリーキャットこももさんが来た時、名前に「勅使河原」という名前を提案しましたが、即刻却下されました。
すーさんは、癒しでした。狭い水槽の中で、バタバタともがき、時に脱走したり。
夏場は大きなタライに移されましたが、タライの縁に手足をかけて、脱走。みんなで探すと、テレビ台の裏側で埃だらけになったりしていました。
歩くのも割と早くて、その歩き姿はかっこよかったです。
人間もそれ以外の生き物もそうなのですが、ワシは「死」に直面すると、何かひとつ物語が終わったような感覚になります。ぱーっとエンドロールが流れます。そのエンドロールは決してハッピーエンドなんかじゃなく、とても淋しいものです。
一番気に入ってる写真。
微妙にこもも氏とツーショット。
すーさんは、楽しい生涯を送れたのかなぁ。
すーさん、ありがとう。また会おう。さよならなんて言わない。あの世できみに出会えたら、おっさん、嬉しいな。
今日はずっと泣いてる。
合掌
2019年3月2日土曜日
そのさんびゃくごじゅうはち
徐々に春めいてきましたね。ワシはこの冬自宅で「暖房器具は一切使わない」という目標を掲げてたんですが、遂にこれを達成しようとしてます。
うちにある、エアコン、ホットカーペット全てを使用しませんでした。
これは単にワシの頑張りによる達成ではなく、姉から貰ったどてら、サンタさんに貰ったニトリさんとこのNウォームのラグ、そして予報されていた通りのある程度の暖冬。
これらが重なり達成することが出来そうです。今もう昼間は春の装いでお出掛けしてます。
「1月と2月が勝負」
と思っていたので、3月になった今、もはや勝ったも同然です。
そういえば、もうあれは9年前になりますが、その9年前の2月のとある日、2月なのに凄く暖かい日があって、当時はどこへ行くにもクロスバイクで移動してたんですが、その日はいつもははめている手袋もなしで、上着も薄いブルゾン1枚で十分の日でした。
あまりにも暖かい2月の日だったので、よく覚えています。そしてその日ワシは当時の恋人と淀川で水見をし、スケッチブックに絵を描いて、木の枝にそれを括り付けて、旗にして岸に立て、そして初めてtobaccojuiceの音楽に触れた日となりました。
淀川は暖かい日が差し、水は太陽に照らされキラキラし、お惣菜屋さんで買ったカキフライはそこそこのお味で、ビールはやはりいつどこで飲んでも美味しかったです。
tobaccojuiceの音楽を初めて聴いた日でしたが、今日はTwitterでそのtobaccojuiceのギタリストのaoimonakaさんに、「秋にはしばらく遊びましょ」と言い(秋に京都へお越しになるので)、「いいねぇ」と返事下さったので「よーし、じゃああそこの居酒屋さんへ連れて行こう」とか、「寺社仏閣に興味はあるのだろうか…。」なんて考えてました。
なぜだかもなかさんには定期的に会いたくてなります。一緒にライブしたの、もう1年も前です。
話飛んで、うちの冷蔵庫はビジネスホテルにあるような、小型の冷蔵庫なのですが、ちょっときちんとした冷凍庫付きの大きめの冷蔵庫が必要になったので、蛍光灯を買うついでに電気屋さんで見てきました。
うーん、高い…のか、安い…のか、分からない値段でした。でもはっきり言えるのは、たかが2万5千円の冷蔵庫が買えない大人になってしまったのだな、ということです。情けない…。
ちなみに、その小型の冷蔵庫は、計3台あります。1台は元々部屋の備え付けのもの、2台目は、その備え付けの物が壊れてしまったので、友達が譲ってくれた物、3台目はその2台目も壊れてしまったので買った物です。
1台目は備え付けの物だということなので、元にあった場所で今はゴミ袋とか洗剤を入れてます。2台目は残念ながら邪魔なのでバルコニーにあります。捨てるのにお金がかかるので…。
また話飛んで。
冬場「粕汁」を作りたい衝動に毎年かられます。でも材料費なんかを考えるとなかなか作ることができない年もあって、今年も作りませんでした。酒粕って、198円もするもんやったっけ?
「食べたい」ということよりも「作りたい」という気持ちの方が先行しています。季節の食べ物なんかは、どれもそうです。
子供の頃、うちは貧乏でした。でも母親は姉弟3人の為に、懸命に料理を頑張ってくれていたと感じています。
正直、そんなに料理は上手ではなかったと思います。本人もそれを認めていたのか、ワシが20歳頃の時、「餃子ってどう焼いたらいいん?」と聞かれたので、若干18歳で居酒屋の料理長に昇りつめてしまったお料理上手なワシは教えたのですが、同時に「今までどうやって焼いててん…。」と思ったものでした。
でも、そんな母親が作ってくれたいくつもの料理の中で、今でも食べたいなぁと思うものが沢山あって、粕汁もそんな中の一品です。
直接母親の料理を教えてもらったことはないので、ワシが作ったところで同じ味にはならないし、「作る」という行為に関しては、同じものを作ろうとは思ってません。
でもそれを食べてきて、今ワシが粕汁を作りたいなぁと思うことが不思議です。
母親はとにかくなんでも大量に作る人でした。粕汁はもちろん、カレー、おでん、巻き寿司、からあげ、なんでもです。まぁその方が材料に無駄がなくて楽だったんでしょうね。合理的だと思います。
1日のどれか1食を単に作るということは、簡単なことです。でもそれはお金の無駄になります。ごはんを作る人は、材料を上手く使い回す為に「今日はこれを作るからアレを買って、アレが余ったらそれを使って別の物を作ろう」と、やりくりします。それは難しいことですが、同時にやり甲斐があったりもします。チラシとにらめっこするのもまた楽しいです。
冷蔵庫で野菜がしょんぼりしてしまっていたら、ワシもしょんぼりしてしまいます。
母親はもういないけど、何かワシが作りたいと思った時は、母親の料理を食べたいと思ってしまいます。そしてそれを、家族みんなで実家で食べたいです。
実家に帰りたいです。もう二度と叶わないけど。
うちにある、エアコン、ホットカーペット全てを使用しませんでした。
これは単にワシの頑張りによる達成ではなく、姉から貰ったどてら、サンタさんに貰ったニトリさんとこのNウォームのラグ、そして予報されていた通りのある程度の暖冬。
これらが重なり達成することが出来そうです。今もう昼間は春の装いでお出掛けしてます。
「1月と2月が勝負」
と思っていたので、3月になった今、もはや勝ったも同然です。
そういえば、もうあれは9年前になりますが、その9年前の2月のとある日、2月なのに凄く暖かい日があって、当時はどこへ行くにもクロスバイクで移動してたんですが、その日はいつもははめている手袋もなしで、上着も薄いブルゾン1枚で十分の日でした。
あまりにも暖かい2月の日だったので、よく覚えています。そしてその日ワシは当時の恋人と淀川で水見をし、スケッチブックに絵を描いて、木の枝にそれを括り付けて、旗にして岸に立て、そして初めてtobaccojuiceの音楽に触れた日となりました。
淀川は暖かい日が差し、水は太陽に照らされキラキラし、お惣菜屋さんで買ったカキフライはそこそこのお味で、ビールはやはりいつどこで飲んでも美味しかったです。
tobaccojuiceの音楽を初めて聴いた日でしたが、今日はTwitterでそのtobaccojuiceのギタリストのaoimonakaさんに、「秋にはしばらく遊びましょ」と言い(秋に京都へお越しになるので)、「いいねぇ」と返事下さったので「よーし、じゃああそこの居酒屋さんへ連れて行こう」とか、「寺社仏閣に興味はあるのだろうか…。」なんて考えてました。
なぜだかもなかさんには定期的に会いたくてなります。一緒にライブしたの、もう1年も前です。
話飛んで、うちの冷蔵庫はビジネスホテルにあるような、小型の冷蔵庫なのですが、ちょっときちんとした冷凍庫付きの大きめの冷蔵庫が必要になったので、蛍光灯を買うついでに電気屋さんで見てきました。
うーん、高い…のか、安い…のか、分からない値段でした。でもはっきり言えるのは、たかが2万5千円の冷蔵庫が買えない大人になってしまったのだな、ということです。情けない…。
ちなみに、その小型の冷蔵庫は、計3台あります。1台は元々部屋の備え付けのもの、2台目は、その備え付けの物が壊れてしまったので、友達が譲ってくれた物、3台目はその2台目も壊れてしまったので買った物です。
1台目は備え付けの物だということなので、元にあった場所で今はゴミ袋とか洗剤を入れてます。2台目は残念ながら邪魔なのでバルコニーにあります。捨てるのにお金がかかるので…。
また話飛んで。
冬場「粕汁」を作りたい衝動に毎年かられます。でも材料費なんかを考えるとなかなか作ることができない年もあって、今年も作りませんでした。酒粕って、198円もするもんやったっけ?
「食べたい」ということよりも「作りたい」という気持ちの方が先行しています。季節の食べ物なんかは、どれもそうです。
子供の頃、うちは貧乏でした。でも母親は姉弟3人の為に、懸命に料理を頑張ってくれていたと感じています。
正直、そんなに料理は上手ではなかったと思います。本人もそれを認めていたのか、ワシが20歳頃の時、「餃子ってどう焼いたらいいん?」と聞かれたので、若干18歳で居酒屋の料理長に昇りつめてしまったお料理上手なワシは教えたのですが、同時に「今までどうやって焼いててん…。」と思ったものでした。
でも、そんな母親が作ってくれたいくつもの料理の中で、今でも食べたいなぁと思うものが沢山あって、粕汁もそんな中の一品です。
直接母親の料理を教えてもらったことはないので、ワシが作ったところで同じ味にはならないし、「作る」という行為に関しては、同じものを作ろうとは思ってません。
でもそれを食べてきて、今ワシが粕汁を作りたいなぁと思うことが不思議です。
母親はとにかくなんでも大量に作る人でした。粕汁はもちろん、カレー、おでん、巻き寿司、からあげ、なんでもです。まぁその方が材料に無駄がなくて楽だったんでしょうね。合理的だと思います。
1日のどれか1食を単に作るということは、簡単なことです。でもそれはお金の無駄になります。ごはんを作る人は、材料を上手く使い回す為に「今日はこれを作るからアレを買って、アレが余ったらそれを使って別の物を作ろう」と、やりくりします。それは難しいことですが、同時にやり甲斐があったりもします。チラシとにらめっこするのもまた楽しいです。
冷蔵庫で野菜がしょんぼりしてしまっていたら、ワシもしょんぼりしてしまいます。
母親はもういないけど、何かワシが作りたいと思った時は、母親の料理を食べたいと思ってしまいます。そしてそれを、家族みんなで実家で食べたいです。
実家に帰りたいです。もう二度と叶わないけど。
登録:
投稿 (Atom)