2013年5月5日日曜日

そのひゃくさんじゅういち

高槻のギャラリーマーヤで開催されている、石川武志さんの展覧会「モノくろ ものクロ」のオープニングパーティーで一曲歌わせていただきました。

歌う直前に長い長い前振りの解説をしたのですけれど、まとめることが下手くそなワシは、二日経ってもあの場で何を言ってたのかやっぱりさっぱりわやなのですが、それでももう一度まとめてみます。

今回、3日のパーティーで歌った歌「モノクロ モノローグ」は前日に作りました。つまり5月2日です。これが人からすると早いのかは知ったこっちゃなく、驚異的な早さです。だってテーマソングですから。どうでもいいことを歌うのはその場で出来ることです。「緑地ブルーズ」なんていつでも歌えます。

展覧会用のFacebookの画像を見て何日か前から作っていましたが、もう一日前の5月1日に梅田へ行き、お友達の谷口正造くんの絵を見ようとNU茶屋町へ行ったらたまたま石川さんに会い、そこにあるって知らなかった石川さんの絵を見せてもらったら、それまで作っていたものが「間違いではない」けれど少し解釈が違うものだと感じて作り直しました。

石川さんの普段の格好はとっても色がいっぱいありすぎの色です。絵のスタイルもたくさんです。手で描いたり鉛筆で描いたりコンピューターでシンメトリーに描いたり。

でもワシが始めから一貫して石川さんの絵や作品に通じているものは、そういった散らばったものの向こう側にある強烈な闇です。ダークネス。人柄も明るいけれど真芯にあるダークネス。携帯電話のカメラを向けるとこんなポーズをいつもとる人が何でそんなに闇があるのか、地球の七不思議のうちのひとつかもしれません。



明るさと暗さが二極化されているから、ここ何年かのモノクロの作品たちは石川さんにピッタリはまっていると思っています。2011年3月11日の絵で、紙に鉛筆だけで「紙の絵」を描くという強烈なリセットをやってのける強さがあるから、はまっているのかもしれません。


ワシはいつも闇にいます。みんなが平気な中、ひとりだらだら汗をかいている時は、その闇から無理矢理引きずり出されている時です。今回、詩を書き直した際にそういう自分のこともシンクロさせました。ワシにとって「詩」と「歌詞」は少し違う位置に気持ちがあります。大抵はじめは詩を書いて、あ、違う

「詩を描いて」

その後に歌詞に変換します。それは単に歌うか歌わないかの違いでもあるのだけれど、歌詞に変換する時にその中には簡単には汲み取れない「意味」をたくさん隠しています。言葉で聞くだけじゃなくて、紙に印刷されたりブログで記事にする時のように「目に見える場合」にその言葉達が漢字なのかひらがななのか、そこに行間があるかまでにもワシには意味があります。こういうのって本当は嫌で単純なものにワシ自身は惹かれるくせに。

意味があるから終わることもなかなか難しいです。だから作り直したのです。歌う前にも、ギャラリーのオーナーのマーヤさんが珈琲をいれてくださり、普段家ではブラックでしか飲まないのにそれを飲むのにお皿に置いていてくださったコーヒーフレッシュを開けて入れようとした途端に「あ、これ、白と黒やん。モノクロやん…。」と感づいただけで「ああ、また変わるのか」と思ってしまったり、その日のマーヤさんの服装の色合いがとっても素敵だったりパーティーが始まってすぐに空に虹が架かったりしただけで、また意味が少し変わったりもします。だから歌う直前に二回詩を読み返しました。確認です。この日は変わりませんでした。明日読み返したらどうでしょうか( ? _ ? )


「モノローグ」としたのはことばあそびでもあるけれど、白と黒の世界って結局二つに一つしかない世界で、それは自分自身と向き合う世界でもあるのかなと感じたからです。自分に勝つかどうか。歌詞だけ読むと「ずっと来ない いつまでも来ない」とかちょっと諦めたような感じでもあるのですが、諦めというよりも悟りなのです。


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やっぱりとっ散らかって何がなんだかさっぱりわやなので本日はやめます。映像を撮ってたのですけど、歌うこと自体があまりにもお粗末すぎたのでアップロードするのをやめました。iPadから電波飛ばしてびゅーんてやるやつの電池がなくてアップロードが途中で止まってたというのもあるのだけれど。

ギターで弾き語りしてますがピアノということばが出てきます。ピアノは白と黒です。ワシがFacebook以外のSNSのアイコンを全てパンダで統一しているのも、パンダはピアノだから。


まとまってないけれどこの歌でまた何やらが決まったので、その時まとま…る…の…ですか…?

求) 代わりに白黒つけてくれる人。