2012年9月22日土曜日

そのよんじゅうよん


ちょっとお知らせから離れて先月のことを。

8月の16日と17日に和歌山県の串本町へ1泊旅行へ行って来ました。お目当ては、去年の10月25日に亡くなった恋人の愛犬「ペペ」が埋葬されているお墓へお参りへ行くため。

本州最南端の潮岬というところの「潮岬動物霊園」へという所。京都からはとても遠いので、これまで会いに行くことができませんでした。

夏休み期間ということもあり、青春18切符なら安くで行けるということもあって、行くことにしました。しかも、その直前にワシが19歳の頃に知り合った東京から大阪へ小学校の先生になるために下阪してき、アルバイト先で親友になった奴とFacebookで4,5年ぶりに繋がってたまたま串本に住んでいることが判明。すぐにお願いして泊めてもらうことにしました。

その親友Yucは、大学を卒業後、今ワシが暮らしている京都で私立の小学校の先生になり、その頃はちょくちょく会ってたけど、だんだんと会わなくなり、その間にいつの間にかダイビングに目覚め、そのダイビングのために和歌山で教師をするために引っ越したという熱い奴。かっこいい。

霊園へ行く前に海へ連れて行ってくれました。本州最南端。本当に海が綺麗。ずっと大阪で育って、和歌山って隣の県だからさほど遠いイメージがないから、海のイメージも違いを感じてはいなかったけれど、いやいや全然別物でした。



かき氷をご馳走になりました。こんな色でもパイン味。ご馳走様でした。



潮岬動物霊園へも車でばーっと連れて行ってくれました。途中迷ってしまい、地図通り行ったのに、霊園をされている方のご自宅でした…。ご丁寧に場所を教えてくださり、また車を走らせてくれました。

着いたら少し寂しい場所にトラックのコンテナが置いてあり、看板に「潮岬動物霊園」と書いてありました。建屋があったので中に入ったけれど、どうも様子がおかしかったので山道を登りました。結構ぐんぐん登りました。

登った先はぱーっと開けて、明るい場所でした。一体ずつ名前が書かれたお地蔵さんもいれば、無縁仏もいました。よーく探したけれど、ペペの名前はそこにはなかったです。



ワシは動いているペペに会ったことはないです。ペペが大好きだったものをお供えして、ワシは「来たよー!」って叫んだ。やっと会えた気がしました。ずっと待たせてごめんね。はじめまして、にっSUNですよ。これからもよろしくね。


その後はYucに観光へ連れて行ってもらいました。串本は昔、トルコの船を助けたそうで、今も友好が続いてるそうです。そういう場所がありました。トルコ絨毯が売ってたり、のびーるトルコアイスが売ってたり。




以上トルコのとこらへん。もっといろいろありました。



この一枚岩というところがお見事でした。下には川も流れていて、とても絶景でした。





上の3枚の岩の写真の説明。なんだかおもしろい。



その後はしばらくドライブ。車の中の音楽はiPodが繋がれていて、シャッフルで流れているそうだけど、何度かソロシップスが流れてなんだか恥ずかしかったな。

家にお邪魔したら、立派なウエットスーツと立派でごついカメラ。そして綺麗で美しい魚の写真がいっぱい。知り合った19歳の頃のYucに「未来の君はこうなってるよ。」って教えたら、「嘘だー!」って頭抱えて標準語で言われるだろうな。あの頃の彼は金髪だった…。教師になろうとしている人間なのに…。

夜は駅の近くの「がんちゃん」という居酒屋へ連れて行ってくれました。このお店がまた強烈でした。強烈と聞いてはいたけれど、予想を遥かに超えていました。

まずはビールを注文。これは当たり前。店内にはメニューがいろいろと書いてある。これも当たり前。でもここからが当たり前ではなかったです。

注文を一切聞かないんです。

恐らく奥さんと思われる人と二人でやっているのだけど、がんちゃんはひたすら作るだけ。奥さんはそれを運ぶだけ。それしかしないんです。注文は飲み物しか聞かないし。食べ物は勝手に出てくる。メニューには「串カツ」とかいろいろ書かれていましたが、きっと作る気は一切ないと思います。

えらいトロピカルな魚の頭が添えられた刺身。鮑はコリコリ。マグロは厚さが2.5cmくらいありました。厚。謎の魚とか、正体の分からない魚とか、なぜか1本丸ごとドカーンと置かれたトウモロコシとか、全部美味しかったです。
写真じゃ分からないけれど、お皿は40cmくらいの大きさはありました。


がんちゃんは厨房でもくもくと料理を作っています。カウンターで飲み食いしていたから厨房が丸見えなのだけれど、あれは厨房ではなく、がんちゃんの「ステージ」である。カウンターには寿司屋に置かれているような冷蔵の「あれ」が置かれている。もちろん魚もいっぱい入れられている。新鮮。漁港の側だから。

でもなぜか大量に「あれ」に入れられたレタス。





そしてそのレタスを豪快に千切るがんちゃん。





なにかというとレタスを使うがんちゃん。





刺身といえば大根のつま。





でもがんちゃん流はレタス。





目の前からみるみるうちになくなっていく大量のレタス。





レタスに頼りっきりのがんちゃん。がんちゃんはステージでレタスをかき鳴らしながらライブを披露しているのです。しかも全くスター気取りではないのです。





そして料理はとめどなく運ばれてくる。しかもかなりの美味しさ。量もびっくりするくらい。「もう勘弁して。」と言うと、「ほな最後に出し巻だけ食べてくださいな。」って言うから、がんちゃんをリスペクトして「じゃあ。」と言ったのが間違いでした。

30cm×20cmはあろうかというくらいのどデカイ出し巻が出てきた…。そして下に敷かれたレタス…。食物繊維…。

店を出る時、がんちゃんは店の床に置かれた焼酎の瓶を1本ずつ空けてくんくんと匂い、「これはあかん。うーん。ああ、これはいけるわ。」と言って、その瓶を差し出してくれました。手作りのポン酢でした。「何にでも合うから。」って。
ワシがパクパクと食べて、「美味しい美味しい」「にゃー!」とか言っていたことで気分を良くしてくれたそうです。だって本当に美味しかったから。でも「恋人にハグしたら怒りまっしゃろ?」って言うから、丁重に「うん、怒るで。」って言っておきました。
がんちゃん、美味しいごはん、いっぱいごちそう様でした。魚さん、ありがとう。レタスさん、ごくろうさま。命、ありがとう。ライブ、最高でした!ひゅー!!

後に京都へ帰ってからそのポン酢を頂くと、!!!!!、驚きの美味しさでした。今やごはんを作って恋人と食べる時に、「これをがんちゃんのポン酢で、」と言うと、二人してにやにやしてしまうくらい楽しみの一品になります。


がんちゃんの前でYucと記念撮影。二人で写真を撮ったのは初めてかな?身体がちょっと大きくなったのと、髪質が「海の男」の髪質になっていました。

腹がはち切れると思ったのは、生涯で三度目であった。

Yucの家まで夜の海沿いをゆっくり歩いて帰りました。海風が心地良くて気持ち良かったです。でもお腹は風船みたいにぷっくりと膨らんでいました。海風に煽られてそのままふわりとゆらゆら飛んで行きたい気分でした。

良い町。良い町で暮らして好きなことをしているのがワシは嬉しい。多感な時期を共に過ごしたから、ふたり良い歳になった現在余計にそう想う。ワシの音楽をかっちゃん以外で一番古くから聴いてくれている人。「自由に使っていいよ。」って泊めてくれた部屋には、19歳の頃にかっちゃんと二人で作ったカセットテープの作品が置いてありました。しかもめちゃくちゃ綺麗な状態で。冷蔵庫には、ザ・ソロシップスがライブ活動を始めて2,3回目くらいの時にしか売ってなかったステッカーを貼ってくれていました。
ライブも京都から大阪へわざわざ来てくれていました。今自分が京都で暮らしているからこそ分かるけれど、結構な時間がかかります。ライブに来てくれた時は「みんな凄いなー!リキかっこいいなあ!!」っていつも感想を言ってくれました。

Yucのブログ「三都→和歌山伝説」 http://gold.ap.teacup.com/yuck/


きれいな海と、その中で暮らす色んな生き物の写真が見られます。ブログの文章がほとんど関西弁で書かれていて、出会った頃は「これどういう意味?」とか「おかしくない?」とかいわれた関西弁の言葉遣いもあったけれど、もうあと3年したらこいつの人生の半分も関西暮らしやもんな。立派な関西人になったもんやで。池袋生まれの池袋育ち。








翌朝はYucが仕事だったので、早々にさよならしました。我々はちょっと海の側をうろうろしていたら電車を1本乗り過ごしたので、朝から開いているスーパーでのんびりして電車を待ち、和歌山市内へ行き、食べてみたかった和歌山ラーメンの井出商店へ行きました。とっても美味しかった!店員さんも親切でした。余は満足であります!毎年お墓参りの時はここのお店とがんちゃんへ行きます!!



帰り、和歌山のどこかの駅でアンクレットを落としました。初めて自分で作ったアンクレット。お気に入りでした。電車内で少しの間しょんぼりしてました。そしたらしばらくしたら、はっとした。ペペはワシと初めて会ったから、ワシの物を近くに置いて行って欲しかったって。そう聴こえました。確かに聴こえました。線路をガタガタ走る列車の音のほんの隙間からペペがそう言いました。「にっSUNありがとね」、って。「ワンワン」じゃなかったよ。

でもペペは空にいるんじゃなくて、潮岬の動物霊園にいるんでもなくて、恋人とその家族、ワシの暮らしの中にいつもいるのです。


ぺぺ